著者
森本岩 太郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.97, no.2, pp.169-187, 1989 (Released:2008-02-26)
参考文献数
12
被引用文献数
2

早稲田大学古代エジプト調査隊の一員として,1983年から1986年までの3回にわたる野外調査において,エジプト•ルクソール市西岸クルナ村にあるいわゆる「貴族の墓」317号および178号両墓から発見された古代エジプト男性ミイラ18体(成人15•小児3)の外陰部を観察した。これらのミイラは新王国第18王朝時代からプトレマイオス朝時代まで,すなわち約1550~30B.C.のものであり,墓泥棒によってひそかに両墓に運び込まれ,身にまとう金銀宝飾を目当てに包帯を解かれ,ばらばらに解体されたものと思われる。18体のミイラのうち,成人3体の外陰部は布で包まれており観察できなかった。外陰部の包み方は,陰茎を他から独立させて布で覆う方法がとられていた。また成人1体の陰茎は墓泥棒により破壊されていた。外陰部を観察できた14体のうち,成人11体中3体(26.3%),小児3体中2体(66.7%)の外陰部が自然の状態に保存されていた。LECA (1980)によれば古代エジプトミイラの外陰部は保存するのが通例であるというから,今回の調査で得られた保存率は異常に低いものであると言える。小児の亀頭包皮の有無は確認できなかったが,成人3体では全例に包皮が存在しなかった。HERODOTUS(紀元前5世紀)の記載や,サソカラのアンク7ホール墓の壁画などに見られるように,エジプトではそのころ思春期の男子に広く割礼が行われたと思われる。成人5体では陰茎が切り取られていた。1体は完全切除,他の4体は部分的切除であった。成人3体と小児1体では陰茎が長く引き伸ばされていた。そのうちの2体(成人1•小児1)では陰嚢を引き伸ばして作った棒状の台の上に陰茎を乗せて支え,他の成人1体では陰嚢を圧延して作った薄板により陰茎を包んでいた.また成人1体では陰茎•陰嚢をかたどった小さな模型(樹脂製•金塗色)が外陰部の直下に置かれていた。ミイラ作りにおける陰茎切除の理由ないし起源について,LECA はどのような思案も浮かばないという。しかし,拙考によれば,ミイラ作りの際における上記の陰茎切除•陰嚢変形•外陰部模型使用などの男性外陰部に対する特別の配慮と処置は,古代エジプト神話において女神イシスが彼女の夫である男神オシリスの身体の復元を志した時,ナイル川に捨てられて蟹に食われてしまった夫の外陰部だけが発見できなかったこと,また夫の外陰部の代わりにその模型を用いて夫の身体の完全復元に成功し,ついにオシリスが永遠の生命を得た(ミイラ作りの起源と言えよう)という物語りに起因するものと思われる。