著者
森田 まり子
出版者
日本ロシア文学会
雑誌
ロシア語ロシア文学研究 (ISSN:03873277)
巻号頁・発行日
no.34, 2002

1909年から29年までの20年間に,約60ものバレエ作品を上演したセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスは,その後の20世紀の舞踊史に多大な影響を与えた。今回の発表では,このバレエ・リュスによって初演された作品の中で,現在でも評価の高い初演と同じ形式で上演されることもある《結婚》という作品を取り上げた。「ロシアの舞踊的情景」という副題のついたこの作品は,1923年にパリのゲテ・リリック劇場で初演されたバレエ・カンタータである。音楽とリブレットはイーゴリ・ストラヴィンスキー,振付はブロニスラワ・ニジンスカ,衣装を含めた舞台美術はナタリア・ゴンチャローワが手掛けた。典型的なロシアの農民の結婚儀礼を題材に創られたこの作品は,これまでの先行研究では,音楽学,舞踊学,バレエ・リュスの文化史というそれぞれの専門領域の中で語られることが多かった。今回の発表では,総合的に作品分析を行い,それを同時代のステージアート史のコンテクストに照らし合わせることで,この作品の持つ新しさ(=スペクタクル性)を明らかにしようと試みた。この作品は,ロシアの農民の結婚儀礼という劇(ドラマ)に完全には束縛されずに,首尾一貫したプロットを形成していない歌,機械的なオーケストラ,様式化された衣装と装置,抽象的な振付など,舞台を構成する各要素が独立した世界を形成しているアンチ・近代的ステージアートの一形態である。この作品は,舞台を構成する各要素が劇(ドラマ)を軸に統一性をもって統合されている近代的ステージアートというよりも,むしろ舞台を構成する各要素を自由に浮遊させ,それらが結婚儀礼という劇(ドラマ)によってわずかに交錯するように創られている「スペクタクルとしての結婚」ともいうべき作品だといえよう。コラボレーション故の差異を孕んだスペクタクル的な作品そのものはアンチ・近代的ステージアートの流れから自然に生まれたものであったといえるが,1つ注目すべきことは,この作品が作曲家ストラヴィンスキーの発案によって創作されたということである。つまり《結婚》というステージアートの鍵は,ストラヴィンスキーのステージアート観の中にあったのだ。こうした舞台人としてのストラヴィンスキー像は,音楽学からの研究だけでは見えてこないものである。このように,バレエ・リュスの《結婚》を多角的なアプローチによって分析することによって,近代とアンチ・近代のステージアートというコンテクストにおいて,《結婚》は「スペクタクルとしての結婚」というコンセプトに基づいたアンチ・近代的ステージアートの一形態であるということ,そしてこの作品の鍵が作曲家ストラヴィンスキーのステージアート観の中にあったということを,この作品研究における新たなる側面として提示することができよう。