- 著者
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植田 啓嗣
- 出版者
- Japan International Education Society
- 雑誌
- 国際教育 (ISSN:09185364)
- 巻号頁・発行日
- vol.24, pp.48-62, 2018 (Released:2019-09-30)
- 参考文献数
- 6
タイ北部の山岳地帯にはいくつかの少数民族が暮らしている。タイ政府は第二次世界大戦後、治安維持のため、山地民に教育を施すことで国民統合を図ってきた。一方で国民統合を推進することで、山地民の文化がタイ文化に侵食される可能性がある。国民統合教育と山地民文化に関する先行研究がいくつかあり、それらは山地民の教育的態度が高まっている一方で、教育による国民統合の効果は限られていると主張している。しかし、両親の世代が学校教育の影響を受けているため、現在は状況が変わっている可能性がある。本研究の目的の1つは、山地民の文化保持の観点からタイの国民統合教育の影響を把握することである。また、先行研究では山地民のアイデンティティ問題を明らかにしてこなかった。タイ政府は、タイ人としてのアイデンティティを持たせるために山地民に教育を提供してきたことから、山地民の民族的アイデンティティを測定することなく、国民統合教育の影響を明らかにすることは不可能である。本研究は、言語、文化、アイデンティティの観点から、タイにおける国民統合教育の影響を把握することを目的とする。
2016年6月13日にチェンマイ市の山岳地帯のモン族の村にある小学校3校で児童に対するアンケート調査を実施した。小学4 ~ 6年生の出席児童77名から回答が得られた。
このアンケート調査は、①勉強・進学に対する意識、②言語能力と使用状況、③アイデンティティ、④国民統合教育の影響、の4つの観点から実施された。①勉強・進学に対する意識では、ほとんどの保護者・児童が高い意識を持っていることがわかった。保護者自身もある程度の学歴を持っている。②言語能力と使用状況では、モン語で両親と話す子供の割合が最も高いものの、モン族の半数以上が家庭でタイ語を使用していることがわかった。モン語を主に使用していた家族の子どもたちはモン語能力の自己評価が高い一方で、タイ語を主に使用していた家族の子どもたちはモン語能力の自己評価が低い傾向にあった。ゆえに、モン語能力は彼らの家庭文化に影響を受けていると考えられる。③アイデンティティでは、調査対象の子どもの80%は、モン族としてのアイデンティティを有すると回答した一方、20%はモン族としてのアイデンティティを有していないことがわかった。また、過半数の子どもがタイ人とモン族の複合アイデンティティを持つこともわかった。④国民統合教育の影響では、タイ原理の主要ファクターである「国王」と「僧侶」を尊敬していない子どもが、国王で3分の1、僧侶で3分の2いた。このことから、タイ原理の浸透の観点からみると、国民統合教育の影響は限定的であると言えよう。
本研究は、タイの山地民の子どもを対象に、言語、文化、アイデンティティの観点から国民統合教育の影響を明らかにするために行われた。言語、文化、アイデンティティの観点から考えると、タイ原理の浸透は限定的であるものの、国民統合教育によって山地民の子どもは言語、文化、アイデンティティの面で影響を受けていると結論付けられる。モン族の子どもたちは、モン族の一員でありタイ人であるという複合アイデンティティを持つことが主流である。しかし、一定数の子どもたちは、モン語をあまり使用せず、モン族のアイデンティティを持たないことを示しており、民族文化の保持が危ぶまれる。今後より詳細な調査が必要であろう。