著者
楜沢 健
出版者
早稲田大学国文学会
雑誌
国文学研究 (ISSN:03898636)
巻号頁・発行日
vol.118, pp.45-55, 1996-03-15
著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.11, pp.58-67, 2004-11-10

小林多喜二は「落書き」に強い関心をもっていた。『一九二八年三月十五日』は、留置場の壁に刻み込まれた「落書き」の「連載」を発見し、それに参加する渡という労働者に注目している。「落書き」は時間とともに消され、書き加えられ、訂正され、という「連載」のプロセスを通じて「匿名」と「集団」の表現へと変貌してゆく。それはまさに発禁、削除、塗りつぶしをたえず強いられたプロレタリア文学の姿そのものであった。本論では、小林多喜二における「落書き」と「連載」の発見に注目し、「連載」が抵抗の手法であること、プロレタリア文学運動を可能性へとひらくキーワードであることを論じた。
著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.68, no.4, pp.23-33, 2019-04-10 (Released:2024-05-11)

細井和喜蔵『女工哀史』(一九二五年)の巻末には、細井が各地の工場で出会い、蒐集した「女工小唄」が収録されている。数え歌、俗謡形式の小唄は、口承で歌い継がれる即興の替え歌=労働唄である。そこには近代の「書き言葉」「標準語」が切り捨ててきた言語の多様性、集団性が豊かに息づいている。花田清輝は「柳田国男について」(一九五九年)で、プロレタリア文学運動の限界は、「活字文化」にその視野が限られ、「口承文化」に息づく言語の問題に無関心でありつづけた点にある、と指摘した。ここでは、花田の問題提起を手がかりに、プロレタリア文学に息づく「小唄」集団性、その諸相に光をあてた。
著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.11, pp.62-71, 2003-11-10 (Released:2017-08-01)

一九四〇年代は俳句の時代であった。戦争とともに膨張拡大する日本の植民地・軍占領地には、あらゆる階層の俳人が散らばっていった。しかし俳句にとって「外地」は伝統的な季題・歳時記が通用しない世界であった。「四季」とは、「歳時記」とは、「花鳥諷詠」とは何か。「季」の制度の"空白"から、このような問いが、伝統俳句・新興俳句・プロレタリア俳句それぞれの中から生まれた。本論ではプロレタリア俳人栗林一石路『生活俳句論』『俳句芸術論』を手がかりに、戦争と植民地主義の矛盾を体現していた俳句の一九四〇年代を辿ってみた。

1 0 0 0 言語の錯乱

著者
楜沢 健
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.11, pp.23-33, 2014

<p>一九二六年に刊行がはじまった「円本」は、「標準語=文学」とみなす日本語規範の見本となった。以後、「正しい」「美しい」日本語の名のもとに、「文学」の序列と差別、検閲と言葉狩り、言語の矯正と調教が猛威をふるう。労働者や農民や女性や異民族の「汚い」「間違った」日本語を記述することから出発したプロレタリア文学は、標準語の序列や矯正や調教に抗い、その規範に錯乱をもたらす、反日本語、反標準語、反文学、反国語の運動にほかならなかった。本論では、プロレタリア文学における日本語批判の諸相に光をあてた。</p>