著者
横尾 千穂
出版者
文化資源学会
雑誌
文化資源学 (ISSN:18807232)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.25-41, 2023 (Released:2023-07-14)
参考文献数
65

1986年、大浦信行の連作版画作品「遠近を抱えて」に使用された昭和天皇の写真のコラージュに対し、富山県議会で議員が用いた「不快感」という言葉が、議会内容とともに報道され、作品・図録の非公開や作品売却・図録処分など、社会的な関心を集める事態が次々と生じた。これらの事態では、作品評価、表現の自由、芸術文化の制度や公共性のあり方が、議会、市民運動、美術領域、法領域で議論され、現在では「富山県立近代美術館問題」という、表現の自由や検閲の問題として認識されている。そのため、これまで同問題が、各領域の内部で共有される情報媒体に依存し議論され、それぞれの言説群の関係性によって形作られてきた点は注目されてこなかった。さらに、各領域の議論を俯瞰して問題の全体像を捉える試みもなかった。そこで本論では、議員の発言が報道される1986年から、大浦と市民団体による裁判が上告棄却される2000年までに発行された、新聞、雑誌、ミニコミ誌、裁判資料等の収集を行い、同問題に対する認識の整理を行った。その上で、各領域で行われた議論の関係性から、同問題の全体像を再構成するとともに課題を示した。まず同問題では、天皇の肖像権、表現の自由、美術の専門性といった観点が、議会の作品評価をめぐる議論に登場し、同問題を規定する観点を形成した。さらに、事態が生じるたびに、作品の表現内容、作品への措置、社会状況が、要因や要求として主張された。しかし裁判を機に、当事者ごとの立場が明確になり、問題はむしろ膠着状態を強めていった。同問題では、各領域の常識的な解釈に、関係する他領域の見解との摩擦が生じることで、各領域の専門的・経験的な妥当性が高まっていった。また、大浦作品は評価の是非に関わらず、ある逸脱性が確認されることでしか記述されてこなかった。同問題の課題とは、こうした複雑な議論の関係性に与しながら、それぞれの言説群の内側で問題を解決しようとすることで、慢性的な議論が続いていることである。