著者
正木 晴彦
出版者
長崎大学教養部
雑誌
長崎大学教養部創立30周年記念論文集(Bull. Faculty of Liberal Arts)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.25-80, 1995-03-27

昭和50(1975)年に植物状態となったK・クィンランさんの呼吸器取り外しの訴えがニュージャージー州の高裁へ提出され、その3年後には世界初の試験管ベビーとしてルィーズちゃんが誕生、その後、政府のいわゆる「脳死臨調」の最終答申を経て、今年2月に厚生省が北大の遺伝子治療にゴーサインを出す迄で丁度20年になる。筆者は偶々その当初より、生命科学の展開に関心を有し、データを蒐集して来た。此度、その膨大な資料の中から約750の出来事を抽出し、それ等を3つの項目に分類整理して見た。第1は「出生に関する諸問題」即ち、人が生れて来る迄の、体外受精及びそれに伴なう代理母、男女産み分け、受精卵選別、更には遺伝子診断等々。第2は「AGINGへの努力」、つまり長生きへの努力の如きものである。脳死者や生体からの諸臓器の移植や世論の動向、更には密売や検死体、処刑者からの摘出問題等。第3は「人生の終り(らせ)方に関する諸問題」で、安楽死、尊厳死、脳死、死ぬ権利等を巡る裁判、がん告知、自殺装置、安楽死法などをこの項に含めた。以上のグループ別の3種の資料を一瞥すれば、生や死に関する人々の考え方や態度等がこの20年間に大きく変化しつつある事が判る。即ち、生や死に関する新しい「理論的な枠組」(パラダイム)が出現して来ている事を、具体的事例の列挙に依り提示せんとするのが小論の第一の目的である。次に上記の資料の中から「遺伝子治療」、「体外受精」、それに「死のとらえ方」の3つを取り挙げて、この間にどの様な問題が発生したか、また、生死に関するパラダイムがどの様に推移して来たかを追って見た。臨調の最終答申は「脳死を人の死」としつつも、それに反対する少数意見も付記している。後述する如く国民世論も、脳死や臓器移植について今の処、是非がほぼ拮抗関係にある。最近、脳死直前の「蘇生限界点」(この段階で延命治療を中止すると言われている)から生還した幾人かの事例も報告されており、これ等の問題の一元的解決は益々困難になりつつある。小論では最後に、賛否が相半ばし、価値観の多様化が進行する中でそれ等の問題に対処する現実的エートスを探り、諸先学の新見解を参考にしつつ試案を提示した。