著者
井上 義彦
出版者
長崎大学教養部
雑誌
長崎大学教養部創立30周年記念論文集(Bull. Faculty of Liberal Arts)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-24, 1995-03-27

これまでの自然観には、大別すれば、自然現象をすべて物理学的に、即ち物理的な作用原因による因果関係によって説明できると考える「機械論」(mechanism)と、自然現象をすべて生物学的に、即ち目的原因による因果関係によって説明できるとする「目的論」(teleology)とがあった。アリストテレスの自然哲学は、生物学的な発想により、万物を質料と形相の結合として、エンテレケイア(自己実現的な力)の発展によって説明し、目的論的哲学を大成的に確立した。アリストテレスの目的論的自然観は古代以来、キリスト教的世界観ともうまく調和するところから、中世を通して近代初頭までヨーロッパ精神世界の支配的な自然観であった。だがしかし、ガリレオ、デカルト、ニュートンの近代科学の成立と共に、いわゆる「科学革命」の成功により、自然現象をすべて機械的に物理化学的に説明する機械論的自然観が、目的論的自然観を圧倒し駆遂していった。デカルトの哲学は、まさに機械論的自然観を哲学的に確立した代表的な哲学である。彼の有名な「動物機械論」は彼の機械論的見解を端的に表明している学説といえる。デカルトの物心二元論の形而上学的なテーゼは、以後世界の自然観を支配し、中世以来の神の座に、近代の科学を据え、神を玉座から追放することになったのである。スピノザは、デカルト同様に、形而上学的神学的な決定論と物理学的機械論的な決定論という二重の決定論的哲学の下に、目的論を人間の擬人論的な虚構的な欺瞞として、徹底的に批判し排除しようとした。これに対してライプニッツは、代表的な近世哲学者の中では例外的に、目的論的な哲学を「モナドロジィー」として構築した。ライプニッツの「予定調和説」はまさにそれを表示している。ライプニッツは、機械論と目的論をモナドロジィーにより調和し和解できるような新しい哲学を構想した。以上の近世哲学の思潮を総合的に批判的に考え抜いて独自の哲学を確立したのが、カントといえる。カントは、二重の意味で機械論と目的論との対立を批判的に止揚したといえる。第一には、哲学の歴史における機械論と目的論の対立の止揚であり、第二には、カント自身の学説的な止揚、即ち自然に基づく理論哲学『純粋理性批判』と自由に基づく実践哲学『実践理性批判』との批判的止揚としての目的論的な『判断力批判』の確立である。カントは、機械論と目的論の対立をニ律背反として捉え、目的論の原理たる「合目的性」を自然の構成原理でなく、自然の統制原理と解することにより、その二律背反の解決を図る。だからカントは、機械論と目的論とは相互に対立排除的に成立するのでなく、両論は相互に矛盾せず両立できるとする。カントは、機械論と目的論を統合するような、第三の説明方式を我々に提案しているといえるのである。
著者
若木 太一
出版者
長崎大学教養部
雑誌
長崎大学教養部創立30周年記念論文集(Bull. Faculty of Liberal Arts)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.一-一六, 1995-03-27

天和二年(一六八二)十月大坂で出版された『好色一代男』八巻八冊は、その後多くの風俗小説の出現をうながし、いわゆる浮世草子の創始を飾る作品として文学史の上でも画期的意味をもつ。その時代の欲望を表象する主人公「一代男」世之介は、どのような背景から生み出されたのか。『一代男』巻八の五 < 都のすがた人形 > は長崎を舞台とする一章であるが、本書執筆以前に西鶴の長崎来遊の足跡は認められない。そこで延宝九年(一六八一)刊の遊女評判記『長崎土産』の記事との比較をすると、巻頭の巻一の一 < けした所が恋のはじまり > 及び巻末の巻八の五 < 床の責道具 > の章との濃密な影響関係を指摘できる。すなわち西鶴は『長崎土産』の案内者「嶋原金捨」を原型として主人公世之介の出自・境遇・性格・趣味等の属性を付与し、造型したと考えられる。本稿は、両書の文章や構想・設定を具体的に比較・検討して、『長崎土産』が『一代男』の一原拠であることを考証する。
著者
正木 晴彦
出版者
長崎大学教養部
雑誌
長崎大学教養部創立30周年記念論文集(Bull. Faculty of Liberal Arts)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.25-80, 1995-03-27

昭和50(1975)年に植物状態となったK・クィンランさんの呼吸器取り外しの訴えがニュージャージー州の高裁へ提出され、その3年後には世界初の試験管ベビーとしてルィーズちゃんが誕生、その後、政府のいわゆる「脳死臨調」の最終答申を経て、今年2月に厚生省が北大の遺伝子治療にゴーサインを出す迄で丁度20年になる。筆者は偶々その当初より、生命科学の展開に関心を有し、データを蒐集して来た。此度、その膨大な資料の中から約750の出来事を抽出し、それ等を3つの項目に分類整理して見た。第1は「出生に関する諸問題」即ち、人が生れて来る迄の、体外受精及びそれに伴なう代理母、男女産み分け、受精卵選別、更には遺伝子診断等々。第2は「AGINGへの努力」、つまり長生きへの努力の如きものである。脳死者や生体からの諸臓器の移植や世論の動向、更には密売や検死体、処刑者からの摘出問題等。第3は「人生の終り(らせ)方に関する諸問題」で、安楽死、尊厳死、脳死、死ぬ権利等を巡る裁判、がん告知、自殺装置、安楽死法などをこの項に含めた。以上のグループ別の3種の資料を一瞥すれば、生や死に関する人々の考え方や態度等がこの20年間に大きく変化しつつある事が判る。即ち、生や死に関する新しい「理論的な枠組」(パラダイム)が出現して来ている事を、具体的事例の列挙に依り提示せんとするのが小論の第一の目的である。次に上記の資料の中から「遺伝子治療」、「体外受精」、それに「死のとらえ方」の3つを取り挙げて、この間にどの様な問題が発生したか、また、生死に関するパラダイムがどの様に推移して来たかを追って見た。臨調の最終答申は「脳死を人の死」としつつも、それに反対する少数意見も付記している。後述する如く国民世論も、脳死や臓器移植について今の処、是非がほぼ拮抗関係にある。最近、脳死直前の「蘇生限界点」(この段階で延命治療を中止すると言われている)から生還した幾人かの事例も報告されており、これ等の問題の一元的解決は益々困難になりつつある。小論では最後に、賛否が相半ばし、価値観の多様化が進行する中でそれ等の問題に対処する現実的エートスを探り、諸先学の新見解を参考にしつつ試案を提示した。
著者
園田 尚弘
出版者
長崎大学教養部
雑誌
長崎大学教養部創立30周年記念論文集(Bull. Faculty of Liberal Arts)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.147-156, 1995-03-27

ベンヤミンとヘッセルにとって二つの首都、パリとベルリンは生活のうえでも、作品のうえでも、決定的に重要な都市であった。ベンヤミンは未完の『パサージュ論』でパリととりくんだ。この作品は成立史的にみても、形式の面からみてもかれの作品を包括するものであった。ベンヤミンの作品の形式は神話的思惟と関係する敷居論とみなすことができる。『パサージュ論』の全体構想にも、遊歩者という個別のテーマにも敷居論の性質がみうけられる。ヘッセルは『ベルリン散歩』のなかでかれの遊歩論を展開している。ベルリンは遊歩に不適な都市であるが、ヘッセルは人間愛からこの術を学ばねばならないと主張する。偉大な「敷居学者」と評された著者の作品には、敷居に対する感覚が浸透している。