著者
三宅 和子 岡本 能里子 村松 賢一 永瀬 治郎
出版者
東洋大学短期大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1997

アトランタ五輪の女子マラソンテレビ放送は視聴者の批判を浴びたが批判の的はアナウンサー(以下「アナ」)と解説者(以下「解説」)の言語行動に集中していた。本研究はこの批判が日本の言語社会構成員の規範や期待感を反映しているものと考え、どのような要因が視聴者の不快感を招いたかを究明する。女子テレビ放送の特徴を明確するため、比較として同マラソンのラジオ放送、男子マラソンのテレビ放送を使用し、数量的、質的研究の二つのアプローチで分析を行った。数量的研究ではこの放送のビデオを視聴した被験者(185名)にアンケート調査を行い、アナ・解説に対しての総合評価を目的変数、評価の要因と考えられる要素を説明変数とする重回帰分析を行った。その結果、評価の要因としてアナと解説に共通して「相手とのコンビネーション」と「声の特徴」、そのほかアナでは「説明内容の適切性」「緊張度」「説明の自然さ」「気になる表現の有無」など、解説では「解説としてのわきまえ」「態度」などが抽出された。質的研究では、女子マラソンをラジオ、テレビの放送の音声面で比較したところ、ラジオのアナ・トークがきわめて定型的なスポーツ放送独特のリズムパタンを実現し、解説がそれに合わせるいわゆる「餅つき」形であるのに対し、テレビはアナと解説のリズムが不定型で、あいづちの欠如やずれでリズムが作り上げられていない。また、女子のテレビ、ラジオ放送、男子テレビ放送の談話を比較すると、女子テレビ放送はアナ・解説に相づちがほとんどなく種類も少ない、発話が長く、話者交替時にインターアクションが3層構造をなさない、対話型話段から実況形話段の移行時に解説に対するアナのフォローがない、解説の発話権が自己主張的で、アナの使うべき談話標識を使う、などの現象が見られた。このように女子テレビではアナと解説の役割分担が欠如し、対話型インターアクションが放棄されているが、数量的研究の結果も支持するように、このことが視聴者の不快感と特に関連が深く、翻ればそこが日本の言語社会のスポーツ放送に望まれる談話を示唆しているといえよう。