著者
河中 正彦
出版者
山口大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

カフカ研究に欲動論と第二局所論を導入するという最初の意図は、完成稿として発表した3編の論文において実現できた。『判決』論での理論的成果は以下の3点に纏められる。(1)『判決』研究を自伝的、精神分析的、宗教的な解釈に分けると、自伝的方法は主人公ゲオルクを市民としてのカフカ、ロシアの友人を作家としてのカフカ、ゲオルクの父をヘルマン・カフカと解釈する。精神分析方法は、自我、エス、超自我と読み解く。宗教的解釈は西方ユダヤ人、東方ユダヤ人、神と解釈する。しかし市民としてのカフカと「自我」という規定は同じことだし、西方ユダヤ人というのも近代化された自我と解すれば、別物ではない。またフロイトによれば、超自我とは父をモデルにしているから、超自我という規定と矛盾しない。また超自我こそ神のモデルだというのがフロイト理論であってみれば、そこには矛盾はない。また作家としてのカフカとエス当規定は矛盾しない。なぜなら沈黙したエスは、語る声として超自我を通じて自らを語るからである。それはまた近代化されない自我、自我の「東方ユダヤ人」的な部分だからである。(2)『判決』において、ゲオルクの父がほとんど理由もなくゲオルクに残酷になりうるのは、メランコリーに特有の「欲動の解離」(フロイト「自我とエス」)によって、エスにおいて不可分に融合していたエロス(生への欲動)と死の欲動が分離し、死の欲動がエスから超自我(ゲオルクの父)に流入する結果、罪もない息子に死刑を宣告する。しかしゲオルクを自我、父を超自我と読み替えれば、これはそのまま、メランコリーに特有の「自虐」に他ならず、カフカおいてはそれはパラノイア(迫害妄想)からの自己防衛でもあった。ここまで深層におよぶ分析はかつてなかったし、カフカ研究に新しい次元を開拓できたと総括できる。(3)またその副産物として、1912年から14年にかけての作品群に登場する人物類型を、フロイトの第二局所論を援用して、整理することに成功した。それは『判決』、『火夫』、『変身』、『流刑地にて』の主要人物たちを、「エス、自我、保護者的(優しい)超自我、審判者的(厳しい)超自我」の4類型に分けて、共時的に構造化できたことである。その他論文として公刊するには至らなかったが、3回の独文学会の発表を通じて、『兄弟殺し』の分析で中期のカフカを、『巣穴』の分析で後期のカフカを考察した。
著者
河中 正彦
出版者
山口大学
雑誌
山口大学独仏文学 (ISSN:03876918)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.v-vi, 2007

河中正彦教授追悼号