著者
河野 真理江
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.73-94, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)
参考文献数
60

本論文は、日本における「メロドラマ」の概念を探求する。「メロドラマ」は、“melodrama”の旧来からの翻訳語であるが、フィルム・スタディーズにおけるメロドラマ概念の浸透によって、現在その意味は曖昧になっている。そもそも“melodrama”がいつ日本語文脈に受容されたのかは明らかになっていない。メロドラマ映画にかんする先行研究を踏まえつつ、この「メロドラマ」の実態を明らかにすることが本論文の目的である。“melodrama”の日本語文脈への導入は、1870年代の翻訳辞典に始まり、当初はしばしば「歌舞伎」と訳されていた。1880年代には洋行者たちが「メロドラマ」の観劇体験を報告するようになり、1910年代にその知識は演劇関連の学術書に応用された。1920年代、メロドラマの言説は、映画にかんするものに集中していき、この言葉の意味は地域言語的なものへと変容していく。1930年代には、「メロドラマ」は通俗的、感傷的な劇を指す言葉となり、女性映画を含む日本映画のジャンルの一つとしても理解されていった。主な論点は以下の二点である。1. メロドラマと日本文化との出会いは、19世紀後半に位置する。2. 日本における「メロドラマ」はその固有性ばかりでなく、メロドラマ概念の普遍性を実証する。
著者
河野 真理江
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.73-94, 2020

<p>本論文は、日本における「メロドラマ」の概念を探求する。「メロドラマ」は、"melodrama"の旧来からの翻訳語であるが、フィルム・スタディーズにおけるメロドラマ概念の浸透によって、現在その意味は曖昧になっている。そもそも"melodrama"がいつ日本語文脈に受容されたのかは明らかになっていない。メロドラマ映画にかんする先行研究を踏まえつつ、この「メロドラマ」の実態を明らかにすることが本論文の目的である。</p><p>"melodrama"の日本語文脈への導入は、1870年代の翻訳辞典に始まり、当初はしばしば「歌舞伎」と訳されていた。1880年代には洋行者たちが「メロドラマ」の観劇体験を報告するようになり、1910年代にその知識は演劇関連の学術書に応用された。1920年代、メロドラマの言説は、映画にかんするものに集中していき、この言葉の意味は地域言語的なものへと変容していく。1930年代には、「メロドラマ」は通俗的、感傷的な劇を指す言葉となり、女性映画を含む日本映画のジャンルの一つとしても理解されていった。</p><p>主な論点は以下の二点である。</p><p>1. メロドラマと日本文化との出会いは、19世紀後半に位置する。</p><p>2. 日本における「メロドラマ」はその固有性ばかりでなく、メロドラマ概念の普遍性を実証する。</p>
著者
河野真理江
出版者
日本映像学会
雑誌
映像学 (ISSN:02860279)
巻号頁・発行日
vol.90, pp.57-75,97, 2013-05-25 (Released:2023-03-31)

Ryoju (1961, Gosho Heinosuke) is a film that can be categorized as bungei-melodrama, which was a subgenre of Japanese film melodrama for female audience. However, the film has, nevertheless, a great similarity to Hollywood family melodrama that is a subsequent generic category in terms of style, technology, themes and women’s film. Interestingly, in Japanese film discourse during the 1950s, some films such as Written on the wind (Douglas Sirk, 1956) were considered works resembling to bungei-melodrama. This fact challenges current discussions that have assumed that these films were rarely understood as “melodrama” or “women’s film” in those days. The main purpose of this paper is to define Ryoju as a paradigmatic work of bungei-melodrama, engaging the Japanese genre with major discussions of melodrama in film studies. It also considers some critical differences between two “melodrama” genres. First of all, the paper will analyze Ryoju by focusing on three critical issues: the representation of the upper middle class, the organization of sexual power struggle, and ideological contradiction in film criticism. Second, it will demonstrate how the three issues allow us to see both similarity and difference between Japanese bungei-melodrama and Hollywood melodrama. Finally, the paper will explore the way to associate two genres, discussing genre re-genrification, one of critical interests in melodrama.