著者
深江 新太郎
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.170, pp.122-129, 2018 (Released:2020-08-26)
参考文献数
10

本研究の目的は「生活者としての外国人」を対象にした日本語教育の目的を再提案することである。方法は教室活動の目的を実践者自身が問い直す実践研究の立場から,「生活者としての外国人」事業における筆者自身の実践を基に「標準的なカリキュラム案」の目的を批判的に考察することを採用した。結果として,「標準的なカリキュラム案」の目的である日本語で意思疎通を図り生活ができるようになることには日常生活における自己実現という視座が欠けていることが分かった。考察では「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的に関し,生涯における自己実現について指摘した先行研究に対し,日々の日常生活における自己実現という視座があることを論じた。まとめにおいて,生涯における自己実現と日常生活における自己実現を組み込んだ「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的の再提案を行い,今後の課題を明示した。
著者
深江 新太郎
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.170, pp.122-129, 2018

<p> 本研究の目的は「生活者としての外国人」を対象にした日本語教育の目的を再提案することである。方法は教室活動の目的を実践者自身が問い直す実践研究の立場から,「生活者としての外国人」事業における筆者自身の実践を基に「標準的なカリキュラム案」の目的を批判的に考察することを採用した。結果として,「標準的なカリキュラム案」の目的である日本語で意思疎通を図り生活ができるようになることには日常生活における自己実現という視座が欠けていることが分かった。考察では「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的に関し,生涯における自己実現について指摘した先行研究に対し,日々の日常生活における自己実現という視座があることを論じた。まとめにおいて,生涯における自己実現と日常生活における自己実現を組み込んだ「生活者としての外国人」に対する日本語教育の目的の再提案を行い,今後の課題を明示した。</p>