- 著者
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溝口 薫
KAORU MIZOGUCHI
- 雑誌
- 神戸女学院大学論集 = KOBE COLLEGE STUDIES
- 巻号頁・発行日
- vol.68, no.1, pp.29-46, 2021-06-20
本論はディケンズの「ドクター・マリゴールドの処方箋」に登場する聾唖の少女とそれを支える主人公に注目しアフェクト研究の手法を用いて物語に現代の読者にも通じる倫理の提示があることを複数の視点から明らかにするものである。マリゴールドが深い共感を持って育てる聾唖の少女像は一見受動的に見えるが、彼女は、障害の自覚を持ち、なお独立した他者性をもって父に対する応答の意志を表す積極的な内面を形成している。この物語は、当時の聾教育のコンテキストに照らしてみると、少女が障害に寄り添う手話教育によって豊かな内面的成長を遂げている点で、当時隆盛になりつつあった障害者不在の口話教育推進に対する否定と読むことができる。またマリゴールドの物語としては、リベラルとしての自覚を持つ英国人の共感欠如を問題としている。彼は家庭の崩壊と再生を通して、人生における共感の重要性、ならびに他者への無関心や反対のエゴイスティックな独占を自制する必要性を学んでいる。この意識は、ある意味で今日の読者においても重要な感情の秩序と関わる倫理的認識であり、それゆえにこの物語は21世紀において再び注目されている。