著者
澤田 るい
出版者
文化資源学会
雑誌
文化資源学 (ISSN:18807232)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1-13, 2022 (Released:2022-07-15)
参考文献数
34

1913(大正2)年に、結核予防対策を担うために設立された日本結核予防協会は、結核の予防法や治療についての正しい知識を普及させるため、様々な啓発事業を展開した。中でも、協会の理事であった遠山椿吉を中心として、当時新しい娯楽媒体として注目され始めた映画の活用に乗り出し、1918(大正7)年に『悪魔の活躍』と『一陽来復』という劇映画の要素も含んだ結核予防映画を製作した。これは教育映画全体で見ても極めて初期の作品であり、製作を担ったのは写真家の平野守信である。昭和期に入ると、徐々に増加し始めた教育映画を手がける製作会社と連携して、協会がその役割を終える1939(昭和14)年までに合計15本の映画を製作した。多くの作品は、結核に関する教訓を『不如帰』などの物語にのせて伝えようと試みられており、教育映画の草創期において、教育的効果と映画の持つ娯楽的要素との融合を図ったことが評価できる。