- 著者
-
片山 正彦
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
- 巻号頁・発行日
- vol.34, pp.41-53, 2006-03-01
豊臣政権期には、「在京賄料」といわれる知行が存在する。在京賄料とは、豊臣政権の傘下に入った諸大名が、上洛の際に必要な費用や在京中の費用を賄うための知行であるといわれる。これは豊臣政権による諸大名への上洛催促に対応していることから、諸大名統制の一環であると考えられ、天正十四年(一五八六)以降に豊臣氏と主従関係を結んだといわれる徳川氏もその例外ではないと思われる。在京賄料の宛行は、豊臣政権にとって重要な政策であることは明らかだが、これに関する研究はほとんど皆無といってよい。最近、豊臣政権が家康に宛がったとみられる近江在京賄料に関する史料(「九月十七日付家康書状」)が発見された。この史料は家康から豊臣秀吉家臣の木下吉隆・長束正家に宛てた書状である。この史料は分析の結果、天正十七年に比定され、この時点で家康への近江在京賄料が宛がわれた事実を確認できる。本稿では、天正年間における豊臣政権の在京賄料に関する分析を行うにあたって、その材料として「九月十七日付家康書状」を挙げ、この書状の分析を行いつつ、秀吉から家康へ宛がわれた近江の知行に関する考察を行いたい。