著者
牛田 あや美
出版者
京都造形芸術大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2018-04-01

日本でのペンネーム北宏二こと、金龍煥は現在では謎の挿絵家であり、マンガ家でもある。活躍した時代は長く、60年に渡っている。資料が多く、散逸しており、まだ調査の最中である。本年度は現段階での調査とし、資料からみえてきた日本の美術の歴史から、北宏二の空白の期間(1945年~1959年、朝鮮・韓国で金龍煥名義)を中心に論文を作成した。彼は1912年、日本統治下の朝鮮で生まれた。韓国では彼の作り出したキャラクター「コチュブ」は、まだ健在である。韓国では漫画・マンガの父として知られているが、日本での彼の活躍はベールに包まれている。時代を経、忘れ去られてしまったことは否めないが、彼の育った時代が、彼の功績を隠している。戦前、戦中において雑誌で活躍した挿絵家や漫画家にとり、読者への戦意高揚を促す日本の国策から逃れられる者はいない。ましてや彼は外地出身者である。彼のように戦前の日本に留学をし、日本の新聞社や出版社と仕事をした人々が解放後、言論の自由を得、新聞社や出版社を立ち上げていった。彼らがアジアの近代化を自国ですすめていった。また近代における「日本のマンガ」を語るとき、学校で勉強をしていた人たちが、マンガ家になったという経緯がある。漫画の父と呼ばれる岡本一平は東京美術学校、現在の東京芸術大学出身である。現在ですら、芸大や美大出身者のマンガ家が多いように、日本が鎖国を解き、国を開いた時から、マンガは独学で、というよりも美術同様に教師から学ぶことから始まったといってもいいだろう。アジアのなかでいち早く近代化した日本には、ヨーロッパからの芸術家が来訪していた。日本の漫画・マンガもルーツを探るとフランス人のジョルジュ・ビゴーとイギリス人のチャールズ・ワーグマンがでてくる。日本での留学時代の人脈、挿絵家としての活躍が、彼の朝鮮・韓国での成功へと繋がっている。