著者
玉井 晃浩
出版者
和歌山県立医科大学
雑誌
和歌山県立医科大学看護短期大学部紀要 (ISSN:13439243)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.25-39, 2003-03

Travis Bogardは「演劇の仮面の'通常の'使用は人間の個性を様式化し、あるいは人間を象徴化、典型化するものである」と述べている。Eugene O'Neillも"Memoranda on Masks"の中でHamletを例に挙げ、仮面を着けることがその劇を「もっぱら'花形役者のたルの芝居'という現在の閉ざされた状況」から解き放つであろうという可能性を示唆している。しかしThe Great God Brownの仮面の使用においてO'Neillが演劇的に追求したものは登揚人物を象徴化、典型化することとは大さく異なっていた。それらの目的を果たすための仮面は観客が創り上げた想像上の空間を壊すことがない様に役者の顔から取り外されることはないが、The Great God Brownの舞台においてO'Nellは敢えて仮面の取り外しを試みたのである。これは"Memoranda"でO'Neillが述べる「新しい仮面の定理。人の外側の長生は他人の仮面に取り憑かれた孤独の中で過ぎて行く;人の内側の人生は自分自身の仮面に追い立てられる孤独の中で過ぎて行く」という理論に基づくものであろう。人は人生において周りの者と調和して生きるために「他人の仮面」を着け、その結果、そうであるべき「自分自身の仮面」を着けた真の自己とはかけ離れた自分を自身の内部に見い出す人間の悲劇をO'Neillはここで語っている。1924年、"Strindbergand Our Theatre"において、従米展開されてきた演劇手法を「使い古された'自然主義'」と攻撃し、「我々現代人が人生のローンに対し支払わなければならない利子である自滅や自己妄想に関し直感的に理解できることを演劇の形で我々が表現し得るのは、何らかの'超自然主義'の形式によってのみである」とO'Nellは主土張した。'超自然主義'の形式」こそが「背後の力」によって生み出された「自滅」「自己妄想」に取り憑かれた人間の姿を表現出来ると考えたO'Nellが、The Great God Brownの舞台において「'超自然主義'の形式」としての仮面の役割をいかに演劇的に展開しているかを本論で考察していく。