- 著者
-
田口 ランディ
- 出版者
- 日本文学協会
- 雑誌
- 日本文学 (ISSN:03869903)
- 巻号頁・発行日
- vol.61, no.4, pp.20-30, 2012
<p>今年は3月に日本のみならず、海外にも影響を与えるような大災害、大事故がありました。しかしながら、私自身の心情を正直に語れば、3・11以前と以降とで自分の創作になにかしら変化があったとは思えないのです。このことは、私自身をとまどわせました。なぜなら多くの人が震災・原発事故を境に「ものの見方が変わった」と述べていたからです。この価値観の変化は「起こっている」のか。それとも「起こされている」のか。緻密に制度化された社会は3・11以前となんら変わらずに続いています。皆が従来の秩序を尊び、自分たちの組織内の狹い常識にのっとって、予定調和で社会生活を続けています。ことさらに書き言葉に携わる人間はたいへん保守的です(言語は書き言葉が登場すると変化しなくなります)。それゆえ、書き言葉への反逆は時々起こり、書き言葉をどう解体するかが多くの近代作家の創作課題でありました。でも、近年、作家は(私も含めて)自らの言葉を解体する力を失っているように思えます。いったい「ものの見方が変わる」とはどういうことでしょうか? これは何百年もの間、文学のテーマであり続けた認識の問題ですのに、今やなんの含みもない陳腐なフレーズと化しているのです。「ことば」はリアルが立ち上がる場所です。人間は「ことば」で構造的に世界を作り上げ錯覚して生きています。ですから「ことば」による解体が可能であったのです。そして「ことば」に新たな意味を与えていくのは、作家、詩人の役割でもありました。ですが、もはや作家や詩人という職業も、ご用○○として扱われ、その表現や存在にオリジナリティなど求められていないというのが実感です。そのような中で、いかに「リアル(違和)」を探りつつ、こだわりつつ言葉を解体するか。現代の状況を踏まえながら考察したいと思っています。</p>