著者
畑 弘道
出版者
公益社団法人 日本皮膚科学会
雑誌
日本皮膚科学会雑誌 (ISSN:0021499X)
巻号頁・発行日
vol.68, no.11, 1958

ここに皮膚pHと呼ぶのは皮膚の表面に薄膜をなして,皮膚を掩うて存在すると考えられる物質のpHの意義である.皮膚pHの測定は,1892年Heussが比色法を用いてなしたのが初めで,其後Schadeに依り検電的測定法が考案され,最近ではBlankのガラス膜電極を以てする検電的測定法が専ら行われている.Heuss以降皮膚pHに関する研究を発表した学者とその年代及び研究成績の要点を記すると,Heuss(1892)は皮膚pHを初めて比色法で測定,皮膚表面は酸性で,皮膚はアルカリ中和能を有すとした.のちUnna-Golodetz(1910)亦表皮の賛成を確認,Michaelis-Kramsztyk(1914)は全皮膚抽出液の,Talbert(1919)は汗の夫々pHを測定,Schade-Neukirch-Halpert(1921)は検電的測定を以て血液のpHを7.35~7.4,結締織のpHを7.09~7.29,表皮細胞の夫れを6.82とした.Sharlit-Sheer(1923)は比色法で健常皮膚のpHを5.4~5.6とし,Memmesheimer(1924)これを追試,確認した.Yamasaki(1924)は皮膚酵素の研究中,表皮浸出液のpHに,Schmidtmann(1925)亦健常及び病的細胞内pHを論じて皮膚pHに触れ,Schade-Claussen(1926)はキンヒドリン法を以て皮膚pHを測定,Hayashi(1927)は兎の皮膚pHを求めた.Brill(1928)比色法で健常皮膚pH値を6.0~7.0,Marchionini(1928)は5.0~3.0としたが,Marchioniniの所謂Sauremantelの説は皮膚pH問題に1エポックを劃したものである.Levin-Silvers(1932)はキンヒドリン法で健常皮膚pH値を5.0~5.3とし,北村,馬(1933)亦同法で日本人皮膚pHを測定,Burckhardt(1935)はアルカリ感受性ある者は皮膚アルカリ中和能が弱いとした,三木(1935)は比色法に依つて皮膚疾患病変部の汗のpHを,Blank(1939)はBeckman氏型pH meterを用いて少年及び壮年男女の健常皮膚pHを測定.Koch(1939),Schmidt(1941)は何れも健常皮膚pHを5.0~6.0とした.Draize(1942) は白人男女,黒人男子の健常皮膚pHを測定,Lang(1946)は皮膚表層角層pHを5.5,顆粒層のそれをpH 7.4とした.田中(1947)は健常値をpH5.0±×とした他,松本(1950)も亦健常値を求めんとし,Klauder-Gross(1951)は職業性皮膚疾患と皮膚pHとの関係を検討,特に皮膚アルカリ中和能を問題とした.Anderson(1954)は皮膚pH健常値を4.9~5.5とし,脂漏性皮膚炎の病変皮膚pHがこれを逸脱することを指摘,Jacobi(1951)は皮膚pH健常値を5.5~6.5,Schmidt(1952)は4.8~5.8,Arbenz(1952)は5.5±0.5とした.Schirren(1953)はガラス膜電極及びキンヒドリン電極を以てする皮膚pH測定値の差異を論じ,Cornbleet(1954)は酸外套と細菌との関係を,Jacobi(1954)はアルカリ性化粧料に因る皮膚障碍時の皮膚pHを検討するところがあつた.なお又,西牟田(1954)は健常皮膚pHを求め,津田(1956)は温泉浴が皮膚pHに及ぼす影響を検討した.初めHeussが皮膚pHを測定して知り得た,皮膚表面は酸性である"事実は,それ以後多くの研究者に依つて承認されるとともに,皮膚pHの研究はこの"皮膚表面は酸性である"ことの意義ずけと,その理由の探球へと発展した.この間Marchioniniが"皮膚表面は所謂酸外套Sauremantelによつて掩われ,このことは皮膚表面に於ける細菌の発育を阻止するに役立つ"と唱えたことは,彼が初めに考えたとは稍々違つた意味に於てゞはあるが,今日なお肯定されている.皮膚表面が酸性を呈する,その理由は,Levin-Silvers等が述べたように主として表皮角層及び汗にあるもののようで,但し2者の何れに重きを置くかは研究者によつて異なり,Andersonは表皮の有するProteinを,Spierは角層物質を,又,Brillは汗を重視し,Rothmanも亦汗を重んずるもののようである.