著者
白井 暢明
出版者
独立行政法人 国立高等専門学校機構 旭川工業高等専門学校
雑誌
旭川工業高等専門学校 研究報文 (ISSN:03899306)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.51-81, 2006

The Immanuel migration group settled in1891 to Imakane and aimed to establish a Christian village. It is very characteristic that this settlement was done in partnership with two different Christian denominations, namely Anglican and Presbyterian. A leader of the Presbyterian group was Tsunesaburo Amanuma. His descendants, the Amanuma family own some basic documents which were written by him. In these documents the details of the Anglicangroup's migration are described. The existing studies on this group ignored these documents and depended exclusively on indirect historical materials and hearsay. This paper aimed to correct the existing view of the previous studies by the decipherment of these basic documents to reconstruct the historical facts.
著者
白井 暢明
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-13, 2007-03

明治30年(1887)に現遠軽町に団体入植した「北海道同志教育会」(学田農場)は、キリスト教徒である押川方義,信太壽之によって企画され,未開地を開墾して得た収益を積み立てて,30年後にキリスト教主義の私立大学を設立することを目的としていた。しかし,この事業は失敗し,約14年後にこの会は解散した。 本稿は明治期に北海道に入植したキリスト教的移住団体に関する一連の開拓者精神史的研究の一環であり,その目的はこの団体の挫折の原因を,他の同種団体と比較しつつ,精神史的,宗教社会学的な観点から明らかにすることである。 結論として,この団体の挫折の最大の原因は,事業と信仰(教会)とが分離していたことにある。北海道の厳しい自然条件の中で開拓事業を進めるためには住民の内面的な支えや連帯感が必要であり,比較的成功した他の同種団体では教会がその役割を果たしていた。北海道同志教育会がこのような失敗に至った背景としては,現地での指導者であった信太壽之がキリスト者から事業家,政治家へと自らの生き方を変えていったことによって住民の信仰という内面的要素を軽視したことにある。