著者
白川 泰旭
出版者
近畿大学
雑誌
近畿大学語学教育部紀要 (ISSN:13469134)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.87-101, 2007

W.フォークナーは1930年7月、彼自身としては初めてのインディアンに纏わる物語「紅葉」を『サタデイ・イブニング・ポスト』誌に送付し、10月発行の同誌に掲載される。その後、章の構成に改訂が加えられて、フォークナーにとっての最初の短編集『これら13編』(1931)に、続いて十数年の年月を経てマルカム・カウリー編纂の『ポータブル・フォークナー』(1946)、そして最終的に『ウィリアム・フォークナー短編集』(1950)に収録されることになる。さらに、フォークナーはその数章を改訂し、短編集『大森林』(1955)の中の一つの物語「昔の人々」の序章として組み込んでいる。フォークナーの短編作品で、雑誌に掲載された後にあらためて短編集などに再録されたものはかなりの数にのぼる。しかし、「紅葉」が以上のように繰り返し収録された跡をたどると、この作品がフォークナーの数多くの短編作品の中でもきわめて重要な意味を持っていることが窺える。また、批評家J.ファーガソンがこの作品に含まれているさまざまな要素を挙げて、「フォークナーの最もすぐれた短編作品の一つ」と評しているのも十分首肯できる。「紅葉」は、チカソー族の酋長イセティッベハの死に伴い、部族のしきたりに則って彼とともに生きたまま埋葬されるはずの「側仕え」の黒人奴隷が、イセティッベハの死ぬ直前に逃げ出したために、部族の者たちが彼を追跡し、捕えるまでの6日間の様子を描いた物語で、展開されるストーリー自体は単純である。しかし、物語の焦点は追跡それ自体ではなく、その背後に横たわっているこのインディアン部族が抱えるさまざまな問題、言い換えればこの部族の過去および現在の「暗部」に当てられている。ドゥームからイセティッベハへ、そしてモケチュッベへと親子三代にわたって酋長の座が引き継がれていく間に、部族を取り巻く状況はますます悪くなっていくのであるが、その背景には、ドゥームが酋長の座を手に入れた経緯、ドゥームの死後、酋長の座を引き継いだイセティッベハの行動、さらにはその息子モケテュッベとの「赤い踵の上靴」をめぐる父子の相剋などが複雑に絡み合っている。しかし、こうした「暗部」の核心や部族の歴史に暗い影を投げかける隠された事実については曖昧さを残したままである。一方、そのようなインディアンの世界を呈示しながら、それと並行して、逃亡する黒人に焦点が当てられ、彼の生命力にあふれた姿も描き出される。彼は死と向かい合った自分を突き放して冷笑的に見ながら、ただ死から逃れようと走り続けるうちに、生きることに必死だった過去の自分を思い出し、自分の中に生きたいという気持ちが湧き起こってくるのに気づく。その描写は生き生きとして、インディアンたちの姿を描くときの語りとは明らかに異なる。このように、読者はこの物語の中に2つの世界を見ることになるのであるが、それぞれの世界が描かれた章は明確に区別され、章によって視点も変わるために、読者は異なった人物の「目」を通してそれらを見ることになる。逃亡奴隷の追捕という、軸となるストーリーそのものの単純さにもかかわらず、この作品が多くの批評家によって高く評価されているのは、この作品の整った章構成と語りの妙ゆえであろう。本論では、この語りの技法と構成を考察し、物語におけるその効果を分析することを目的とする。