1 0 0 0 OA 諸・転法論考

著者
白石 凌海
出版者
智山勧学会
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.83-102, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
7

「津波は天罰」 このように発言したのは、東京都の石原慎太郎知事(当時)である。 東日本大震災の発生は平成23年(2011)3月11日。その3日後、蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者団に語った、その主旨である。 翌日の毎日新聞(3月15日付け)は、三段抜きで「石原氏〈津波は天罰〉」を見出しに掲げ、取材の記者は「〈天罰〉と表現したことが被災者や国民の神経を逆なでするのは確実だ」と批評し、発言の重要性を指摘した。都知事とて、出し抜けに「津波は天罰」と語ったのではなく、かかる発言に至るにはそれなりの道筋がある。しかしそれは背後に追いやられ、ことさら「津波は天罰」だけが注目されたのである。 同日(15日)、石原知事は先の発言を謝罪し、撤回した。 読売新聞(3月16日付け)の報道する見出しは小さく、「〈天罰〉発言を都知事が撤回〈深くおわび〉」とある。同紙はまた「都によると、この発言に対してメールや電話による意見や抗議が殺到していた………」と伝えている。 記者団を前に公言した、その言葉を翌日には「深くおわび」して「撤回」するとはいかなる事態なのか。同席した記者が、聞く者の「神経を逆なでするのは確実」と危惧したように、事実、抗議が殺到した。だからひとまず謝罪したのであろうか。 いずれにしても以後、続報が紙面に表れることなく、一件落着したようである。 一方、しばらくするとどこからともなく、次の言葉が巷に浮上してきた。 「しかし 災難に逢(あう)時節には 災難に逢(あう)がよく候 死ぬる時節には 死ぬがよく候 是(これ)ハこれ 災難をのがるゝ妙法にて候」 越後の良寛の言葉である。 ここで災難とは文政11年(1828)に発生した地震であるから、こちらは二百年ほど前に残された言葉が、今日、人々に思い出され流布したのである。 大災害に襲われ、それこそ様ざまな言葉が出現、飛び交った。あるものはすでに衰退するも、あるものは現在なお生気を失っていない。 本論は「災害における言葉」に関心を寄せ、仏教的観点から言葉が如何なる働きをなしているのか、すなわち転法輪との関係を論究する試みである。