著者
白石 睦弥
出版者
弘前大学大学院地域社会研究科
雑誌
弘前大学大学院地域社会研究科年報 (ISSN:13498282)
巻号頁・発行日
no.5, pp.176-156, 2008-12-26

岩木山は青森県津軽地域に聳そびえる標高一六二五メートルの独立峰である。火山としても知られているが、近世期を通じて火山活動は見られるものの、大規模な被害や死者をともなう火山性災害を引き起こしていない。 岩木山の活動の中に硫い おうやま黄山出火というものがある。硫黄山は岩木山南西の嶺、湯治場として知られる嶽だけ温泉の上部にあり、岩木山を描いた絵図などにその位置を確認できる。硫黄山出火は火山性の水蒸気爆発などによって露出した硫黄が延焼するというものであったが、実際的に城下町や在方の、人が居住している地域にほとんど影響は無い。それにもかかわらず弘前藩はこの出火に対応し、領民は動揺を見せながらもその消火に自主的に加わった。この様子は「金木屋日記」に記されている。硫黄山出火の特徴は、他の火山性災害と異なり、領民の尽力と藩主の威光によってコントロールできると考えられていたことである。岩木山が壊滅的な災害を引き起こさず、鎮火に至ったことは、弘前藩の権威を維持する上で大いに役立ったと考えられる。 また、岩木山に対する弘前藩の信仰は代々厚いものがあり、それは、当時下おりいのみや居宮と呼ばれた岩木山神社と別当寺である百ひゃくたくじ沢寺の維持管理といった面にもよくあらわれている。四代藩主信政は自ら神式で岩木山に葬られ、このことも岩木山信仰と弘前藩の結びつきを強めた。現在も岩木山信仰圏が津軽領と重複しており、近世期から連綿とその信仰が続いていたことが理解できる。このような信仰の対象である岩木山が青く燃える様は、弘前城下からも確認でき、領民には動揺が広がった。 このような岩木山の変事をはじめとし、地震などの災害、蝦え ぞち夷地出兵などの国家的危機に際して、下居宮や百沢寺で行われた祈祷は、弘前藩と岩木山が内外の危機から藩領すなわち藩国家を守ることを明示し、それは藩体制の強化にも繋がった。