著者
石村 克
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.1188-1192, 2009-03-25

本稿の目的は,認識の<偽>に対する懸念(asanka)の消滅のために,その認識の原因の欠陥の非存在の認識をスチャリタが自律的真理論(svatah-pramanya)に導入した根拠を明らかにすることである.クマーリラは,自律的真理論の論証において,SV 2.60で認識の<偽>に対する懸念の発生を制限するものとして,その認識の原因の欠陥の無認識(dosa-ajnana)について言及しているが,欠陥の非存在の認識(dosa-abhava-jnana)については全く言及していない.欠陥の無認識とは,欠陥が認識されないことであり,欠陥がないことが認識されるということを意味する欠陥の非存在の認識とは区別される.それにもかかわらず,残りの注釈者であるウンベーカとパールタサーラティとは違い,スチャリタは,認識の<偽>に対する懸念は,その認識の原因の欠陥の非存在の認識によって取り除かれ,それ以降,発生することが規制されるということを主張している.スチャリタがその考えがクマーリラの考えと整合すると考えた根拠は,「人為的な言葉は,話し手の認識根拠が想定されるまで,対象の認識手段として機能しない」というSV 2.167におけるクマーリラの言明に求めることができる.スチャリタは,「人為的な言葉は,話し手の認識の原因に欠陥がないことが確定され,その言葉の<偽>に対する聞き手の懸念が取り除かれるまで,認識手段として機能しない」というように,懸念の概念を用いてこの言明を説明している.このことによって,クマーリラのこの言明の中に,<偽>に対する懸念を取り除く方法として原因の欠陥の非存在の認識を導入する根拠を見いだすことができるようになる.このような原因の欠陥の非存在の認識によって<偽>に対する懸念を取り除くという考えは,スチャリタ以降,チッドアーナンダを経由して,ナーラーヤナにまで継承されることになる.