著者
福圓 容子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.114, pp.89-107, 2008

シェイクスピアの第一・四部作の全てに登場する唯一の人物は、ヘンリー六世の后マーガレットである。王妃という立場上、王権にまつわる闘争を描いた『ヘンリー六世』三部作において彼女が中心的な位置を占めるのは当然であるが、シェイクスピアは劇のプロットの進行上必要性が無いにもかかわらず、史実を枉げて彼女を『リチャード三世』に登場させた。彼女に与えられたのは、アクションに関わらない部外者として他の人物に対し呪いの言葉を投げかけるという役割である。本稿では、『ヘンリー六世』三部作において描かれるマーガレットの言動が、近代初期の父権制社会の中でどのような意味を持つのかを詳細に検討する。その結果を踏まえた上で、シェイクスピアが『リチャード三世』においてマーガレットを再登場させた理由と彼女に託した呪詛という役割の意味を考察する。
著者
福圓 容子
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.112, pp.253-285, 2007

本論では、William ShakespeareのKing Learにおける父娘関係をテクストから詳細に検討することにより、リアの秘められた欲望を前景化する。そこには娘に母親の役割を求める不自然に逆転した親子関係が認められるが、この欲望を追求することは既存の父権制秩序にとって大きな転覆要因となる。なぜなら父権社会とは父親が娘を他の男性に譲り渡すことで築かれる男性同士の絆を基盤とするからである。リアが求めているものは、自らの欲望と秩序維持を同時に追求することなのである。劇の冒頭で姉娘達がリアに追従するのに対し、末娘はリアの矛盾を突いて彼の要求に応じることを拒み勘当される。姉娘達に冷遇され裏切られたリアが行き着くのは女性全般、さらには大自然の生命を生み出す力そのものに対する烈しい嫌悪である。混乱した秩序を回復しリアの女性嫌悪を癒す役割を担うのは末娘だが、その志が遂げられることはなく、結局リアがその過ちを悟るのは彼女を失うことによってである。