著者
稙田 誠
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.46, pp.23-42, 2016-03

中世社会において、宗教の果たした役割の大なることは周知に属するであろう。神仏の力(神威)が人々を規定していたこと、広く認められる通りである。しかし、このように通常説かれる一般認識とは正反対に見える事象―神威を疑い、これに抗う態度や言動―が諸史料に散見されること、少しく中世史料を繙かれた方であれば、容易に想起し得ると思われる。中世を生きた人々が宗教に盲従していたわけではないことについては、かねてより指摘されてきた。例えば、中世文学・芸能史料(狂言等)を素材に、神威からの解放・脱却の言説を掬い上げようとする一連の試みは、その代表的成果といえる。近年の中世宗教史研究においても、理論・実証共に優れた瞠目すべき研究が現れている。筆者も、神仏と人々との角逐の実態について、その先鋭的な実例として神社仏閣焼き討ち、或いは墓の破壊・冒涜行為を取り上げ、不十分ながら考察を試みた。とはいえ、神威否定・誹謗の実態については、未だ未解明の部分が多いのが実情である。これを単なる「例外」と見なすことなく、まっとうな研究課題として俎上に載せることは、中世宗教史・心性史を掘り下げる際の有効な一手段となり得るのではないだろうか。 本稿では以上のような問題意識に立った上で、参籠祈願の場にスポットを当ててみたい。参籠祈願とは一般に「神社や仏堂などへ参り、一定の期間昼も夜もそこに引き籠って神仏に祈願すること」と理解される。祈願の内容は、治病・立身出世・敵討ち成就といった現世利益から浄土往生に至るまで様々である。人々は一心不乱に祈りを捧げたのであるが、そこはある種の喧噪と不穏な空気が渦巻く空間でもあった。というのも、参籠祈願の場は、神仏と人々が直接交感できると信じられたからであり、双方の距離が日常では想定し得えないほどに縮まったのである。斯様な宗教装置としての性格故、双方の間に深刻な矛盾を生じさせることも間々あった。具体的には、人々が自己の祈願を強引に叶えさせるため、神仏を恫喝するという事態が観察されるのである。神威を頼りに参じ、神仏の御前にひれ伏したはずの人々が、一転それに抗う態度を取り得た要因は如何なるものであったか。本稿は、斯様な場面を注視する作業を通じ、神仏と中世人の位相(神仏尊崇と神威超克の矛盾)を探る試みである。