著者
稲山 訓央
出版者
聖泉大学
雑誌
聖泉論叢 (ISSN:13434365)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.185-203, 2003

含意が広く散漫となりがちな、演劇という事象について、文化的に類似性の高い映画と比較することで、演劇のみが為しえ、伝えうるものは何かということを論ずる。映画は瞬間の積み重ねを撮影していくことで成り立つものである。したがって、実際に起こった出来事を記録した映画というものも存在するし、また演じ手も、演技をコマ切れに行っていくことが可能である。対して演劇は、劇場の中で、観客と舞台という虚構の場をあえて設定し、演技を一連のものとして、寸断することなく行わなくてはならない。つまり、映画よりも、演劇のほうが虚構性が高いと言える。さらに、映像・音響技術が発達した今日、演劇でしか表現できないことに、「匂い」があると考える。劇場の広さに条件はあるものの、「匂い」を使うことで、演劇の独自性や面白さを追求することができるのではないだろうか。