著者
竹澤 公美子
出版者
日本小児耳鼻咽喉科学会
雑誌
小児耳鼻咽喉科 (ISSN:09195858)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.320-325, 2013 (Released:2014-03-20)
参考文献数
8

筆者は 2 歳時に原因不明の両側高度感音難聴になり,幼少期から補聴器と読唇,口話,筆談を主なコミュニケーション手段として活用してきた。それらの方法は遊びの中から習得し,また読書の習慣により語彙が増えた。幼稚園から高校まで普通校に通い,2001年に医学部に入学した。大学 2 年の後期から講義の内容を理解することが困難になったため,2003年に右人工内耳埋込術を受けた。まず音が入るようになり,次に言葉が,そして会話が理解できるようになった。それには長期間を要し,今でも十分な聞こえであるとは言えない。しかし,聞こえそのものの獲得はもちろん,コミュニケーションの方法が広がり,会話を楽しむことができるようになったこと,そして何よりも社会の中の自分という視点を得ることができるようになった。幼少期に失聴し,長い失聴期間を経て人工内耳を装用した耳鼻咽喉科医として,経験を報告する。
著者
竹澤 公美子
出版者
日本小児耳鼻咽喉科学会
雑誌
小児耳鼻咽喉科 (ISSN:09195858)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.320-325, 2013

  筆者は 2 歳時に原因不明の両側高度感音難聴になり,幼少期から補聴器と読唇,口話,筆談を主なコミュニケーション手段として活用してきた。それらの方法は遊びの中から習得し,また読書の習慣により語彙が増えた。幼稚園から高校まで普通校に通い,2001年に医学部に入学した。大学 2 年の後期から講義の内容を理解することが困難になったため,2003年に右人工内耳埋込術を受けた。まず音が入るようになり,次に言葉が,そして会話が理解できるようになった。それには長期間を要し,今でも十分な聞こえであるとは言えない。しかし,聞こえそのものの獲得はもちろん,コミュニケーションの方法が広がり,会話を楽しむことができるようになったこと,そして何よりも社会の中の自分という視点を得ることができるようになった。幼少期に失聴し,長い失聴期間を経て人工内耳を装用した耳鼻咽喉科医として,経験を報告する。