著者
芦原 聡
出版者
東京大学
巻号頁・発行日
2003

背景と目的//超短光パルスは基礎研究から光通信・光情報処理などの応用分野で不可欠な存在となっており、その発生・波長変換・波形制御技術の重要性は疑う余地が無い。カーレンズモード同期の成功以来、Ti3+ :Al2O3レーザーを中心に固体レーザーの超短パルス化は急速に進展しているが、これら発振器や増幅器から直接得られるパルス幅はレーザー媒質の蛍光スペクトルなどにより制限される。そこでいわゆるパルス圧縮技術が必要となるのである。//これまでは一般に、光ファイバー中の自己位相変調効果とその後段の分散補償を組み合わせたパルス圧縮法が研究されてきた。この方法は極短パルス化が可能である反面、系が複雑でエネルギーロスが大きいという欠点をもつ。非常にシンプルなパルス圧縮システムとしてファイバーソリトン圧縮器があるが、これら光ファイバーを用いる方法ではガラス中の3次非線形光学効果(光カー効果)を利用しているため、大きな光強度と長い相互作用長が必要である。またファイバーソリトン圧縮は、ガラスの異常分散領域でしか実現できないという欠点もある。//一方、2次非線形光学効果の多段過程によっても実効的に3次非線形効果を得ることが可能である。この「カスケード2次非線形光学効果」は、高速かつ大きな非線形応答を示す。また位相不整合量の調整により、非線形効果の符号と大きさを制御可能という特徴をもつ。カスケード非線形効果に関してはこれまで、光スイッチングや空間ソリトン形成などの応用研究がなされてきたが、そのほとんどはナノ秒〜ピコ秒領域であり、フェムト秒領域での研究は数少なかった。//本研究では、カスケード非線形効果の高速応答性が最大限に生かされる超短光パルス制御応用にターゲットを絞り、「フェムト秒光パルスにおけるカスケード非線形効果の諸特性評価とそれを利用したソリトン圧縮の実現」を目的とした。2次非線形光学ソリトンは基本波と高調波が互いにトラップしながら伝搬するという物理的に興味深い現象である。本研究では特に、媒質自身の分散とカスケード非線形効果のバランスを利用した、実用的なソリトン圧縮システムの理論解析および実験的研究を行った。//BBO非線形結晶を用いた光ソリトン圧縮//本研究の第一段階として、β-BBO非線形結晶のタイプI角度位相整合を用いた実験を行った。Ti: sapphireレーザーのフェムト秒光パルス (800nm, 80fs, 82MHz) を用い、長さ1mmのBBO非線形結晶中に誘起されるカスケード非線形効果を測定した。位相不整合量を制御しながら測定した結果、カスケード非線形効果による実効的な非線形屈折率効果は正負それぞれについて|n2casc(BBO)|〜(4.1±0.9)×10-15cm2/W が得られた。//次にTi: sapphireの再生増幅パルス (800nm, 120fs, 82MHz) を用いて光ソリトン圧縮を行った。基本波波長800 nmはBBO結晶中で正常分散領域に入るため、ソリトン圧縮を実現するためには負の非線形効果が必要となる。光強度・位相不整合量・伝搬長をパラメーターとして伝搬計算を行い、ソリトン圧縮特性を理論的に評価した。数値計算によれば長さ32mmの伝搬で最短約25fsへのパルス圧縮が可能であることが明らかになった。数値計算で得られた知見を基として実験を行った結果、入射基本波135fsから約3分の1である45fsへのパルス圧縮に成功した。//周期分極反転LiTaO3におけるカスケード非線形効果の評価//本研究の次なるステップとして、擬似位相整合 (Quasi phase matching: QPM) 法の利用へと展開した。QPM法に用いられる強誘電体材料は一般に2次非線形光学定数が大きい。またQPM法はドメイン反転構造の設計如何で任意に位相整合条件を設定できる。このような観点から、強誘電体QPM素子はカスケード非線形素子として大きな潜在能力をもつ。//Ti: sapphireレーザーの波長で動作するQPM素子として、周期分極反転LiTaO3素子 (Periodically-poled lithium tantalate: PPLT) を選んだ。電場印加法による分極反転を用いて、厚み0.3mm、周期3.1μmのPPLT素子を作製した。周波数分解2光波混合法により、カスケード非線形効果の大きさとして|n2casc(PPLT)|〜5.6×10-15cm2/W を得た。しかし、正味得られた負の非線形効果は非常に小さかった。この原因は、基本波と第2高調波の間の群速度不整合によるカスケード非線形効果の低減と、LiTaO3自体がもつ大きな光カー効果との競合である。光カー効果を測定したところ、異常光線ではn2E (LT) 〜3.0×10-15cm2/W 、常光線ではn2O(LT)〜1.7×10-15cm2/W であった。結局、PPLTを用いたソリトン圧縮は実現できなかったが、LiTaO3に関して非常に有益な知見を得た。LiTaO3は重要な波長変換用材料である上、光カー効果は超短光パルスのカスケード非線形素子や波長変換素子を設計する上で必須の物質定数であるが、本研究でその値を初めて明らかにしたのである。//周期分極反転MgO:LiNbO3を用いた光ソリトン圧縮//PPLTに関する研究から、効率的なカスケード非線形光学素子を実現するためには、2次非線形光学定数の大きな材料を用いた上に群速度整合を満たす必要があるとの教訓を得た。そこで次に、周期分極反転MgO: LiNbO3 (Periodically-poled MgO-doped lithium niobate: PPMgLN) の非対角成分 d32 を用いることにより、通信波長で群速度整合条件を満足させ、大きなカスケード非線形効果を発現させた。PPMgLN素子は長さ10mm、厚み0.5mm、分極反転周期20.4μmであり、用いた光源はフェムト秒光パラメトリック増幅器 (1560 nm, 〜100fs, 1kHz) である。位相不整合量を調整することで、正負それぞれの符号の大きなカスケード非線形効果 (|n2casc(PPMgLN)|〜30×10-15cm2/W) を得た。これはフェムト秒パルスのカスケード非線形効果として報告された値としては最大である。//この素子を用いて光ソリトン圧縮を行った。基本波波長1560nm およびその第2高調波波長双方において正常分散であるため、ソリトン圧縮のためには負の非線形性が必要となる。素子温度と入射光エネルギーを最適化することにより、パルス幅110fs、中心波長1560nmの基本波入力から、基本波・高調波の同時35fsパルス圧縮を実現した。このような周期分極反転素子における光ソリトン圧縮の実現は、本研究によるものが初めてである。//非平行な擬似位相整合配置を利用した群速度整合法//このようにPPMgLNにおける群速度整合条件を利用することで効率的なソリトン圧縮を実現したが、この群速度整合条件は材料の屈折率分散から決まるものであった。すなわち、動作波長が異なれば群速度不整合の問題に直面する。そこで本研究では、分極反転格子の傾斜およびパルス面の傾斜を利用した新しい群速度整合法を提案した。この方法を用いると、構造の設計如何により任意の波長で擬似位相整合と群速度整合を両立させることが可能となる。擬似位相整合と群速度整合を表す方程式を導出し、具体的に周期分極反転LiNbO3 (Periodically-poled lithium niobate: PPLN) に適用した例を示した。この方法を用いると、位相整合許容バンド幅は通常の方法に比べて、波長0.8μmでは110倍、波長1.55μmでは32倍に広がる。また、通信波長において群速度整合を満たすPPLN素子を設計・作製し、それを用いたSHG原理確認実験を行って本手法の有効性を実証した。//結論と展望//以上のとおり、本研究では角度位相整合および擬似位相整合を用い、2次非線形媒質中のソリトン効果を利用することで効率的なパルス圧縮が可能であることを理論的・実験的に実証した。このような2次非線形ソリトン圧縮法の特徴は、大きな非線形性の恩恵により低パワー動作が可能であること、エネルギー利用効率が高いこと、正常・異常分散を問わず実現できること、基本波と高調波が同時にパルス圧縮されて出力されることなどである。ただしその反面、精密な分散補償が困難であるため、例えば10fs以下への極短パルス化には適さないかも知れない。以上から、この2次非線形光学ソリトン圧縮法は、低パワーかつサブピコ秒動作のモードロックレーザー光源、例えばEr: glassレーザーやYb: YAGレーザーなどとの集積化に適しているといえる。//今後の展望として、分極反転構造の非周期化などの設計による短パルス化および圧縮パルスの高品質化や、本研究で提案した群速度整合法をスラブ導波路と結びつけるなどしてより低パワー化することなどが挙げられる。また、2次非線形ソリトン伝搬を用いた量子光学的応用も興味深い展開であろう。