著者
藤井 郁夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.381-386, 1998-05-01 (Released:2010-06-15)
参考文献数
42

明治期に架けられた鋼 (鉄) 道路橋の国内の製作工場を調べたものである。明治初期の国産道路橋は宮営工場で一橋毎に加工製作されている。これが明治中期になると「よろずや的」と称される機械工場で製作され, 加工製作の国産化が完成した明治後期になると専門化した機械工場の他に, 造船または鉄骨製作と兼業した橋梁專門工場での製作が始まっていることがわかった。又, 鋼 (鉄) 橋の加工製作についても, 機城・造船と同様に官設工場の影響は大きく, そして赤羽工作分局と三田農具製作所を核とした東京港区三田・田町地区は明治中期頃は鉄橋製作についてもその中心地ともいえる状況であったことがわかった。
著者
藤井 郁夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.155-161, 1997-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
31

トラス形式の橋梁は日本には明治になって導入され日本の橋の長大支間化の役割を果たした。以後のこの形式の発展を支間長を指標にして振り返ってみた。結果として, 橋形式としては単純形式から, カンチレバー形式連続形式へと変遷をしている。そして又, 長大と言える支間長を明らかにることが出来た。また何故長大橋が架けられたかさらにはその架設法についてもみてみた。
著者
藤井 郁夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.101-107, 1991

支間1990mキロメートルを単位とする支間の吊橋「明石海峡大橋」は次第にその姿を現し始めた。本報告は, 藤蔓の時代から現代迄の, 日本の吊橋の変遷をみたものであり, 1. 明治以前の天然繊維ケーブルの時代, 2. ワイヤーロープ吊橋の時代, 3. 戦後の長大吊橋の時代とに分けて述べる。<BR>ただし, 本文ではいわゆる固定床の吊橋のみを取り扱うこととし, 「綱わたし」「籠わたし」「釣り越」等は省くこととした。また, 1900年前後ヨーロッパを中心に架けられた「運搬橋」の我が国での記録は見出せなかった。