著者
藤川 奈月
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.359-374, 2021-06-25

本論文は,「生きづらさ」という言葉の系譜を「専門領域」に留めずに辿ることを試みたものである。まず,これまで「生きづらさ」という言葉がいかなる文脈でどれほど用いられてきたかを新聞記事で概観したところ,この言葉に関する三つの仮説を得られた。そして,これらの仮説を掘り下げるため,若者に関する記事に焦点を絞り,言説の展開をより詳しく検討した。その結果,次のことが明らかになった。①「生きづらさ」という言葉は「問題」との関連からのみで読み解かれうるものではないこと。②「生きづらさ」を「問題」とみなすかどうか,「問題」とみなすならばそれをいかなる「問題」とみなすか,それをいかなるアプローチで〈どうにかし〉ようとするのか,といったことは,単一的に捉えられないということ。③「生きづらさ」という言葉にとって2007年~2009年が転換期だったこと。これらのことは我々に「生きづらさ」を問題視すること自体を問い直すよう促す。
著者
藤川 奈月
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.329-357, 2021-06-25

現在,「生きづらさ」という言葉が包括的で多義性を持つ言葉として様々な人の間で使われている。にもかかわらず,専門家による「生きづらさ」の定義付けや理論構築などといった「生きづらさ」探究活動には,多種多様な「生きづらさ」のうちの一部しか反映されていない。本論文は,この現象の構造とそれを乗り越える方途の検討においてA. W. グールドナーの理論を援用することの意義と限界を探るものである。グールドナーの理論を再読し整理した結果,先述の現象の構造は,グールドナーの下部構造論の援用,すなわち,専門家とそれを取り巻く社会や人々との間の相互作用の検討によって説明可能となることが明らかになった。先述の現象を乗り越えるための方途については,グールドナーのRational Discourse論,特に,「知的対話」「限界の自覚」「非権威的理性」「明識としての知」がその一助となるものの,グールドナーの理論だけでは限界もあるということが明らかになった。