著者
蘇 徳昌
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.29, pp.1-25, 2001-03

郭沫若は果たして百獣の王である獅子なのか、それとも寺院の塔の上の風見鶏なのか。毀誉褒貶、賛否両論、未だに決着が付かない。とりわけ彼の中国プロ文革中の豹変ぶり、始めは四人組万歳、最後は四人組打倒は、国民は言うに及ばず、知識人でさえこのような振る舞いはしないのにというのが万人の認めるところである。彼の人々に与えた印象は最悪である。本稿では中国の近代化に貢献したのか、それとも妨害したのかを基準に彼の功罪を分析した。五四運動時期・北伐・日中戦争から中華人民共和国の成立・農地改革までは、彼は基本的に手柄を建てたと言えるけれども、それ以降、亡くなるまでは完全にナンセンス或いは逆効果であった。全体から言うと、魯迅の言う通り、彼は才子プラスごろつきであった。然し、彼の中国の文化界・学界に与えた影響は看過できないし、特に、中国共産党の知識人政策・対日政策の制定及び実施に、彼の果たした策士・代弁者的な役割は小さくない。彼は2回日本に渡っているが、1回は留学、1回は亡命で、合わせて20年も滞在した。彼の人間形成は日本で完成した。彼は日本の有利な条件をフルに利用し、又アンナ夫人の献身的な努力と支持もあって、創造社前後のロマンチシズムの詩作、革命と戦争の一側面を描いた自叙伝、歴史・考古学・文字学の研究等の仕事が出来た訳である。郭沫若は、日本は中国より経済的な土台から政治・文化・社会の上部構造に至るまで、全面的に中国の文化を導入し、原始社会から奴隷制社会を飛び越えて直接封建制社会に突入した。又ヨーロッパ文明に倣って、所謂東洋の奇跡たるものを実現し、資本主義社会に進み、列強の仲間入りをすることが出来た。その原因はと言うと、日本の植民地的な価値は中国よりはるかに低く、中国は帝国主義各列強の目を逸らすという言わば盾の役割を果たした。そして、中国は又日本にとって、最高の原料供給地と最大の市場であった。ところが、日本は恩知らずで、恩を仇で以て返した。何十年この方中国を侵犯し、最後は全面的な侵略戦争まで起こした。というのが、彼の日本観である。戦争という時代背景並びに彼と日本人の付き合いはそれほど広くも深くもないということがあって、彼の日本人に対する見方は、全体から言うと、消極的、批判的で、冷たく、時には偏見もあった。
著者
蘇 徳昌
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.30, pp.15-44, 2002-03

天才的な詩人・作家・文学者である郁達夫は中国文学革命の主将で、中国近代文学の先駆者であったが、その生涯は悲劇の連続であった。多くの国民或いは文学界から頽廃作家などと誹謗され、友や妻に裏切られ、母親・兄は戦争中に悲惨な死を遂げ、自分自身も何と終戦直後に日本憲兵に殺害されてしまった。その彼が日本人は中国人を蔑視していると憤慨しながらも、日本人を心から愛し、日本文化を絶賛し、傾倒した。日中戦争で日本は本来の美しい姿を失い、歪んでしまった。軍部は戦争を起こした張本人である。軍国主義の高圧により、文学は大々的に後退し、絶滅の深淵に陥っている、と指摘し、最後まで闘い続けた。彼は日本人的な中国人であり、その日本観は愛憎交錯したものである。