- 著者
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西丸 四方
- 出版者
- 医学書院
- 巻号頁・発行日
- pp.2-3, 1970-01-15
新年早々亡霊とは縁起でもないが,わが国の精神医学はここしばらく亡霊に崇られて悩んでいる状態であるし,私自身その運命をひしひしと感じているので,このような題を記すことを御容赦いただきたい。私は昨年7月31日信州大学に20年15日勤めて不恰好な退職をしたが,それは20年前の私の患者の亡霊がこの大学の紛争の種となって崇りをしたせいであったからである。その後,昔信州へ来て顕微鏡一つ,本一冊なかった頃この大学の一回生二回生に講義するために患者を借りた病院へアルバイトに行っているが,そういう亡霊がまだそのまま居るのである。そのうえ悪いことに昔新しいclientとして私が治療して治ったと思った患者たちが亡霊となってこの病院に沈澱しており,地獄の声でまだ私の名を覚えていて呼びかけてくる。20年間社会精神医学的に及ばずながら世話をして社会復帰させていた患者がとうとう破綻をきたして,昔の美しい面影はどこへやら,グロテスクなPraecox-GefuhlのPhysiognomieをもってこの期にとばかり眼前に化けて出てくる。 大学にいたころはもうこのようなVerblodung,Dementia praecoxは卒業した時代になったと妄想していた。私は,ことに若い人々の間で,あるいは新しい見解の人々の間でnotoriousな,Kraepelinの本が好きで,あの本の8版を欲張りにも2部所持していて,自宅と勤め先とに置いておき,いつもひっくりかえしては見ているので,この亡霊のことはよく承知しており,ソビエトの人々がクレペリンの見方を今もなお固持しているのを尊敬と軽蔑の混ったambivalentな気持で眺めていたにもかかわらず,実際この多くの亡霊達と面と向かってauseinandersetzenしなければならない立場に至ると,精神医学の歴戦30余年の勇士もぎょっとしてたじろがざるをえないのである。