- 著者
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福島 二朗
西片 守
- 出版者
- Japan Society of Civil Engineers
- 雑誌
- 日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, pp.103-109, 1986-06-25 (Released:2010-06-15)
- 参考文献数
- 14
本研究は、京と東国との大動脈であった東山道をとりあげ、古代から近世に至る間、その果たしてきた役割を時代ごとに明らかにすると共に、地方の地域社会発展にどのような影響を及ぼしたかを、東山道の経路に位置した栃木県足利市を例として考察したものである。今回は第2報として鎌倉~室町時代をとりあげたが、この時代は前代までの皇室・公家政権から武家政権へと移行した時代であり、鎌倉に幕府が置かれたことによって、従前の京都周辺に集中していた政治・経済・文化・交通が、鎌倉をも円心として二元化された時代であった。律令制下においては主に国家への貢納物輪送として使われてきた東山道は、中世に至って、荘園年貢物の輪送、さらに中央諸都市の発達と地方の領主層の成長に伴う地方産業の勃興により、商品輪送路としての役割を果たしたのである。又、前代末期に興った新仏教である時宗や禅宗が東漸したのもこの時代である。このような状況の中足利は、前代の郡衙・駅家が位置し東山道が近傍を通っている周辺に寺院が建立され、又市が立つなど、この地方の主邑として発展してきたが、このことは東山道を媒介とした文化や技術の伝播・交流が繁く行われてきたことを物語っているものと思われる。本稿ではこれらについて詳述した。[中世・道路・地域開発]