- 著者
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角田 佑一
- 出版者
- 日本宗教学会
- 雑誌
- 宗教研究 (ISSN:03873293)
- 巻号頁・発行日
- vol.97, no.1, pp.51-74, 2023-06-30 (Released:2023-09-08)
本論の主題は、曽我量深(一八七五―一九七一)の「日蓮論」における日蓮本仏論の構造を解明することである。曽我は近代日本を代表する浄土真宗の教学者である。彼は二〇歳代の頃、日蓮研究を行い、同時代の日蓮主義から影響を受けて、自らの日蓮理解を深めていった。曽我の「日蓮論」(一九〇四年)において、彼の日蓮理解はさまざまに変化するが、最終的に彼は「日蓮本仏・釈尊迹仏」の見解を示す。筆者の解釈では、曽我の述べる「日蓮本仏・釈尊迹仏」の基盤には以下のような構造があると考えられる。すなわち、日蓮が自らの罪悪と無力を自覚して題目を受持するとき、久遠実成の如来を自らの主体として認識し、「本仏」としての自覚に至る。そのうえで、日蓮は久遠実成の釈尊を客体として認識し、釈尊を「迹仏」であるとみなす。曽我の日蓮本仏論の特色は、日蓮の罪悪と無力の自覚、題目受持、「本仏」としての自覚が相互に深く結びついている点である。