著者
赤間 恵都子
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.277-285, 2018-03-24

受験勉強として古典文学を扱い、古語文法に悩まされてきた学生たちは、大学の授業でも古典文学は難しいという固定観念を持っている。しかし、授業で実施した古典文学に対する意識調査の結果、古典を作品として学びその内容を知った学生たちの大方が面白いと感じて興味を持つことが分かった。筆者は学生たちの関心を古典文学に引き寄せる方法として、漫画やアニメーションを教材に使用しているが、さらに近年はアクティブラーニング的な授業方法も試みている。本稿は後者の授業について報告するものである。一つは、『源氏物語』がテーマのゼミ形式の授業で実施した「源氏双六」「宇治十帖双六」制作ワークである。2015年度には光源氏の一生をたどる双六盤を、2016年度には宇治十帖の薫の動向をたどる双六盤を作成した。楽しい作業の中に、物語全体の流れと出来事の意味を復習するという重要な課題が含まれており、意義あるワークとなった。もう一つは、『古今和歌集』を扱った授業の最終課題で、和歌に詠われた世界観を学生たちが読み取り、PC画像として表現するワークである。出来上がったパワーポイント画面には、学生たちのオリジナリティーあふれる世界が表現された。意識調査で古典が好きと答えた学生も、あまり好きでないと答えた学生も、将来的に古典の授業は必要だと思い、その意義について様々な回答を記述してくれた。古典文学を未来につなげるために、現段階では、まずは学生たちに興味を持ってもらえる授業展開方法を今後も工夫し続けていきたい。
著者
赤間 恵都子
出版者
十文字学園女子大学
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.192-181, 2015

四季の風景を平等に取り上げる『枕草子』は,春秋に重きを置く平安文学の中で特異な作品である。四季の中でも文学的な風物の乏しい冬に,唯一,注目される雪は,清少納言が特に好んで描いた素材であった。本稿は,『枕草子』の雪景色を取り上げ,作品内で雪がどのような場面に描かれているのかを考察し,雪景色が作品生成の源となる風景として,『枕草子』執筆に大きな役割を担っていたことを論じる。まず,初出仕した清少納言が宮廷で出会う主人定子や上流貴族たちの印象深い姿が,雪景色と共に描かれる。そして,宮仕えに慣れた清少納言は,香炉峰の雪の段で,定子後宮を代表する女房として称賛される。定子後宮は公的な場で女性が漢詩漢文を自由に口にできる革新的な文化を持っており,清少納言はその気風にたちまち適応した。そんな定子後宮のモデルとして『枕草子』に引かれる村上朝の風雅な逸話にも,月雪花の漢句が引用されていた。中関白家が没落し,定子が内裏に入れず大内裏の職御曹司に滞在していた時,職御曹司の庭で雪山作りが行われた。雪山完成直後,女房たちの間で雪山がいつ消えるかの賭けが始まり,その賭けの途中で定子の内裏参入が実現する。この時の定子の内裏滞在は第一皇子誕生に結びつくが,政治情勢は彰子立后を企てる道長側に傾いていた。そこで,『枕草子』に表立って記述することが憚られた一条天皇と定子の会合は,雪山の賭けを利用して書き留められたと考えられる。最後に,『枕草子』が決して語らない定子葬送の日の雪景色がある。それは他のどの場面よりも深く降り積もった雪景色であり,定子を喪った作者を作品執筆へと突き動かした風景だったと考える。以上,初出仕から定子崩御に至る清少納言の宮仕え生活の折々で,雪が重要な場面に登場していたことを確認する時,『枕草子』は雪景色から生まれた作品だったと言えるのである。
著者
赤間 恵都子
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.277-285, 2018-03-24

受験勉強として古典文学を扱い、古語文法に悩まされてきた学生たちは、大学の授業でも古典文学は難しいという固定観念を持っている。しかし、授業で実施した古典文学に対する意識調査の結果、古典を作品として学びその内容を知った学生たちの大方が面白いと感じて興味を持つことが分かった。筆者は学生たちの関心を古典文学に引き寄せる方法として、漫画やアニメーションを教材に使用しているが、さらに近年はアクティブラーニング的な授業方法も試みている。本稿は後者の授業について報告するものである。一つは、『源氏物語』がテーマのゼミ形式の授業で実施した「源氏双六」「宇治十帖双六」制作ワークである。2015年度には光源氏の一生をたどる双六盤を、2016年度には宇治十帖の薫の動向をたどる双六盤を作成した。楽しい作業の中に、物語全体の流れと出来事の意味を復習するという重要な課題が含まれており、意義あるワークとなった。もう一つは、『古今和歌集』を扱った授業の最終課題で、和歌に詠われた世界観を学生たちが読み取り、PC画像として表現するワークである。出来上がったパワーポイント画面には、学生たちのオリジナリティーあふれる世界が表現された。意識調査で古典が好きと答えた学生も、あまり好きでないと答えた学生も、将来的に古典の授業は必要だと思い、その意義について様々な回答を記述してくれた。古典文学を未来につなげるために、現段階では、まずは学生たちに興味を持ってもらえる授業展開方法を今後も工夫し続けていきたい。
著者
赤間 恵都子
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.259-266, 2017-03-24

国風文化が花開いた平安時代、文学の中心は和歌であり、勅撰和歌集が次々と編纂されていった。そんな時代に歌人の家系に生まれた清少納言は、『枕草子』という新しい形式の文学作品を生み出した。最初の勅撰和歌集として権威的存在だった『古今和歌集』と、それを意識して生み出されたに違いない新しい形式の文学と、二つの作品にはどのような違いがあるのか、両作品が取り上げる四季の景物の扱い方を比較検討することで明らかにしようと試みた。その最初の題材として、本稿では春の代表的な景物である「桜」を取り上げ、両作品の「桜」の用例をすべて抽出し、その内容を比較検討した。その結果、散る桜を詠う『古今集』に対して、散らない桜を演出する『枕草子』という対照的な様相がとらえられた。『枕草子』は『古今集』の文学的価値を認める一方で、『古今集』に対抗した独自の世界を創り上げたと考える。『枕草子』においては、桜は后の象徴として用いられており、清涼殿と二条邸(中宮定子の里邸)に設置された満開の大きな桜は、決して散らせてはいけないものだった。したがって、『古今集』が散る桜をどんなに賞美しても、『枕草子』は散らない桜の世界を描きとめたのである。両作品の四季の景物について、さらに検証をつづけていく予定である。