著者
遠藤 浩子 大八木 規夫
出版者
財団法人深田地質研究所
雑誌
財団法人深田地質研究所年報
巻号頁・発行日
vol.1, pp.73-96, 2000-07-10

鹿児島県出水市針原地区においt,梅雨に伴う大雨により1997年5月10日大規模な崩壊が発生し,21名が亡くなった。この崩壊源の規模は幅79m,奥行185m,深さ20m,体積12.4万m^3であった。崩壊源周囲の地質は矢筈岳火山岩類に属する鮮新世・更新世の火山岩類で,下位から火砕岩,淡灰色安山岩溶岩,暗灰色安山岩溶岩で構成されている。これらの安山岩類は著しく風化しており,崩壊源の側方崖や滑落崖では浅部は粘土質の赤褐色風化帯,その下位は玉葱状構造のよく発達した風化帯となっている。崩壊発生場所は凹状地形を呈し,1982年長崎災害の事例と類似した反復性後退崩壊の特徴をもった斜面であった。移送堆積域では,崩壊源脚部から450m下流右岸側に,玉葱状構造を残存した状態で運搬された高さ1m,幅3mのブロックを発見した。この位置は,他の機関が同様の堆積物を確認した位置よりも140m下流である。上のブロック発見位置は,空中写真判読によって小規模ながら流山の形態を示している。このような流山地形は上述のブロック発見位置よりも55m下流であった。この場所は災害後に土塊が擾乱されたが,玉葱状構造をある程度保存した礫を確認できた。したがって,崩壊源脚部から500m付近までは岩屑なだれの状態を保った部分があったと考える。また,移動体の移送の途中から流動性の高い部分も形成したと推定される堆積物も認められた。