著者
長井 千春 宮崎 清
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.77-86, 2007-05-31

ヨーロッパの後進国ドイツは、19世紀末には世界屈指の産業国家に成長していた。日本では、同じ頃、イギリスに代わる近代化の準拠国として新たにドイツに照準をあわせ、重要な輸出産業である陶磁器製造においてもドイツを模範とした。本稿は、マイセンでの磁器開発を起点に盛んとなるドイツ磁器産業の発祥から発展の経緯を検証するなかで、その特性を整理し考察を試みた。19世紀中葉のドイツ文化圏には4つの特徴ある磁器産業地帯が形成されていた。各産地ともに資源環境に恵まれ、量産技術の開発と合理的な経営に優れた工場が多く、これまで特権階級の所有物であった磁器を日用必需品として、幅広い生活層への普及に貢献した。そして、20世紀初頭には輸出量でアメリカ市場を制覇し、かつて粗悪で悪趣味と呼ばれた磁器製品は、国策としての工芸振興とデザイン運動との連動により、技術力とデザインで国際的に認知されるまでに力をつけ始めていた。
著者
長井 千春 宮崎 清
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.77-86, 2007-05-31 (Released:2017-07-11)
参考文献数
34

ヨーロッパの後進国ドイツは、19世紀末には世界屈指の産業国家に成長していた。日本では、同じ頃、イギリスに代わる近代化の準拠国として新たにドイツに照準をあわせ、重要な輸出産業である陶磁器製造においてもドイツを模範とした。本稿は、マイセンでの磁器開発を起点に盛んとなるドイツ磁器産業の発祥から発展の経緯を検証するなかで、その特性を整理し考察を試みた。19世紀中葉のドイツ文化圏には4つの特徴ある磁器産業地帯が形成されていた。各産地ともに資源環境に恵まれ、量産技術の開発と合理的な経営に優れた工場が多く、これまで特権階級の所有物であった磁器を日用必需品として、幅広い生活層への普及に貢献した。そして、20世紀初頭には輸出量でアメリカ市場を制覇し、かつて粗悪で悪趣味と呼ばれた磁器製品は、国策としての工芸振興とデザイン運動との連動により、技術力とデザインで国際的に認知されるまでに力をつけ始めていた。
著者
長井 千春 宮崎 清
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.83-92, 2007-07-31 (Released:2017-07-11)
参考文献数
37

明治政府が遂行した殖産興業及び輸出振興政策において、明治20年頃迄は、陶磁器製造業が日本の在来産業の主役として重要な役割を果たした。1873(明治6)年に政府が正式に参加したウィーン万博に附随した海外伝習の結果、日本の陶磁器産業は飛躍的な成長を遂げることとなる。本稿では、陶磁器分野の最新技術習得をめざして日本から派遣された伝習生、納富介次郎、川原忠次郎、丹山陸郎の3名の研修地オーストリア・ボヘミア地方の磁器産業に焦点を当て、産地としての特徴を分析し、同地での研修の意義について考察を試みた。ドイツ文化圏の磁器産地の中でも後発のボヘミア地方は、セーブル窯、ミントン社などが競合する同時代のヨーロッパ陶磁器業界において、重830年代から優れた量産技術力で注目され、廉価な磁器製造、多様な海外需要への対応力に秀でていた。同地方はウィーン万博でも特に注目された産地の一つであった。日本政府は、既に自信を持っていた美術装飾品分野ではなく、日用品としての陶磁器量産工業技術の習得を目指し、研修地をボヘミア地方に決定したものと考えられる。