著者
長尾 知子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.15-27, 2013-01

1920年代まで存在を疑われたカナダ文学が世界文学の仲間入りを果たしたのは、20世紀も末に近い。本稿は、そのような後発ぶりを示すカナダ文学の背景となる事情を探ると同時に、展開のプロセスに伴う、カナダとカナダ文学が抱えるジレンマの背景を浮き彫りにしたい。まず、英系カナダ文学の発展に寄与したフライとアトウッドの足跡に言及した上で、カナダ文学の後進性を物語る、日加両国の事情を確認した。日本でのカナダ文学の受容のプロセスを翻訳事情と研究状況の観点から概観し、カナダ本国での研究状況、初期の出版事情、その背景となる歴史的・地理的事情を探った。さらに、英系カナダ文学に影を落とすジレンマの背景を、初期アメリカ文学の場合と比較し、事例として、植民地時代の作家ジョン・リチャードソンとスザンナ・ムーディーの置かれた英系カナダ文学の状況を考察した。最後の事例には、ポストモダニズムを先取りしていたゆえに、再評価を待たねばならなかったハワード・オヘイガンの代表作を取り上げ、ジレンマの諸相に目を向けると共に、アメリカ文学とは異なる英系カナダ文学の独自性を読み取った。
著者
長尾 知子 ナガオ チカコ Chikako NAGAO
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.29-39, 2011-01-31

英語文学を代表するカナダの女性作家Margaret Atwood(1939~)の初期作品を取り上げる。間テクスト性に満ち、あらゆる慣習からの逸脱志向を見せるLady Oracle(1976)は、現代批評の格好のテクストとして研究されてきた。本論は、21世紀を迎えた読者の眼に映る、20世紀中葉カナダの文化的側面に注目する。主人公の語り手が、子供時代の母親との確執、叔母と過ごした時間、父親不在の家庭について語るとき、作者は1950年代のカナダ社会を反映する価値観を示唆している。独り立ちしたヒロインが、出会った男たちとの経緯を語るプロセスでは、ヨーロッパの伝統文化との対比で、カナダ性が立ち現われてくる。さらにコスチューム・ゴシック作家から新進気鋭の詩人へと進化するヒロイン自身の姿は、1960年代から70年代にかけての文化事情を反映している。遅咲きのカナダ文学の歴史において、LadyOracleは、辺境カナダの文学を担う作家が、主流文化を揶揄しつつ、カナダ性をちりばめた、文化の万華鏡なのではないか。Margaret Atwood (1939-) has established herself as a world-class novelist receiving 'The Man Booker Prize for Fiction' in 2000. Lady Oracle (1976) is her third novel whose 'Intertextuality' and 'indeterminacy of meaning' have tempted many to discuss the earlier work as a fair game for modern literary criticism. This article explores its cultural aspects in mid-20th century Canada which attract our interest in retrospect. The author implies the sense of value shared by 1950s when the narrator-heroine tells about her conflict with her mother, time spent with her aunt and absence of her father from home in her childhood. Her association with men she met as a woman in Europe mirrors Canadianism in contrast with traditional Western culture. The evolution of the heroin from a Costume Gothic writer to a rising poet images the cultural background of Canada from 1960s to 70s. In mid 1970s when Atwood wrote Lady Oracle, Canadian Literature had yet been unrecognized national literature. The novel was indeed a challenging attempt by a promising woman writer from the culturally developing country to present a kaleidoscope, pieces of which illustrate cultural aspects of Canada while parodying all kinds of conventions and traditional values.