著者
藤本 治義 長島 乙吉
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.43, no.512, pp.340-342, 1936-05
被引用文献数
1

昭和十年八月長島は臺灣の東岸より太魯閣峽に沿って西方へ合歡山峠を越へて脊稜山脈を横斷した。其際畢祿巡査駐在所の西方約1kmの地點にて埔里層に來在される石灰岩に海百合の莖と思はれる化石を發見した。其後長島が此附近で採集せる材料につき藤本の粗査せる處其の中に Camerina sp., Glomospira sp? 等の化石を發見した。此の Camerina 石灰岩は粘板岩及砂岩の互層中に來在され, 此等の地層は矢部教授と半澤理學士の埔里層と稱せるものに相當し, 又古く下部粘板岩系とされてゐたものに當る。矢部教授と半澤理學士は南部の高雄州で此の埔里層中から Camerina sp., 其他の始新世の標準化石を發見され埔里層の地質時代を中新世より古く, 化石を含有する部分は始新世とされた。筆者等の Camerina sp., の發見は此の埔里層の始新説を證據立てる一新事實を加へたことになる。