- 著者
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長田 真紀
- 出版者
- 上田女子短期大学
- 雑誌
- 奨励研究(A)
- 巻号頁・発行日
- 1994
浄土宗の寺に生まれ自らも僧侶となった武田泰淳は、重い体験として仏教のさまざまな問題を切実に文学化した。その問題の一つが、僧侶の妻帯である。自伝的僧侶ものと呼ばれる作品(『異形の者』『快楽』)にも、それが色濃く出ている。本研究では、浄土宗の名僧であり終生独身を貫いた渡邊海旭、武田芳淳、山下現有と武田泰淳との直接・間接的な交流、精神的影響について解明を試みた。京都(知恩院浄土宗学研究所、京都府立図書館、成願寺)への出張では、昭和7年8月3日〜4日に開催された高野山仏教学大会の後、武田泰淳と山下現有の邂逅があったことは判明した。愛知(長谷院、名古屋市鶴舞中央図書館、聖覚寺、源空寺、大森寺、善應寺)への出張では、武田泰淳の事蹟および武田泰淳の父大島泰信との関係を調査する中で、大島泰信の師僧でもあった加賀泰道の存在が浮かび上がってきた。また、大島家の菩提寺はもともと浄土真宗であったことも判明した。加えて『浄土宗学大辞典』『知恩院史』等の浄土宗関係図書によって、日本の近代仏教史の中で、渡邊海旭、武田芳淳、山下現有らの存在はきわめて大きく、僧侶の妻帯の問題において重大な過渡期に立っていたことを確認した。東京(西光寺、潮泉寺、長泉寺)および神奈川(大島淑氏宅)への出張では、武田泰淳には夭折した次兄大島信也がいたことが判明した。水産学者の道を進んだ長兄大島泰雄の存在とも考え合わせると、武田泰淳が僧侶への道を進ことになった一つの必然性が認められる。