- 著者
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長谷 憲一郎
- 出版者
- 日本映像学会
- 雑誌
- 映像学 (ISSN:02860279)
- 巻号頁・発行日
- vol.104, pp.51-72, 2020-07-25 (Released:2020-08-25)
近代日本における染色業および紡績業の発展に尽力した稲畑勝太郎が、リュミエール兄弟と日本での独占契約を締結し、実施したシネマトグラフ事業とは、いったい何だったのだろうか。本稿は2017年に筆者が発掘した新資料稲畑勝太郎のリュミエール兄弟宛て書簡4通(1897年)によって新たに判明した五項目にフォーカスし分析した。事業の背景には映画装置の渡来直前の明治後期、古都京都において第四回内国勧業博覧会が開催され、博覧会やパノラマ館、幻燈興行といったスペクタクルが消費され、受容されていた環境があった。実業家の稲畑は、野村芳国と横田永之助のスクリーン・プラクティスに基づく視覚的実践の経験に着目し、映画興行および映画撮影を成功させるべく二人に協力を要請して彼らの経験を有効に活用した。リュミエール兄弟のサポートはもちろんのこと、彼らのような興行者の協力を得ることで、稲畑のシネマトグラフ事業は、映画が単なる映写機でも撮影機でもなく、現実世界を自動的に再創造し、イリュージョンを生み、時空間をも越えさせる装置であることを見事に示したのだ。本稿は、日本における映画前史と映画史を接続させたという点において、稲畑は日本映画史に極めて重要な役割を果たしたと結論づけた。