著者
関口 欣也
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
no.128, pp.46-57, 60, 1966-10-30
被引用文献数
1

1)中世禅宗様斗〓は中国南宋頃の正統的な斗〓形式をうけつぐものであるが, 中国のものと異り肘木長さを2種類に統一し, 斗も立面上大斗と巻斗の2種で構成するのが一般的である。したがって斗〓は巻斗配置法の各型を通じて立面的に斗が上下に整然とそろう。すなわち禅宗様斗〓は細部の精緻な整備感を重んずる日本的感覚によって中国斗〓を整理単純化したものとみてよい。2)禅宗様の斗〓形式は斗の配置法によりA・B・C・Dの4型に分類される。このうちA・B・Cの3型はいずれも14世紀から存在し, なかでも秤肘木上巻斗外面と長い肘木にのる巻斗内面が相接するととのったA型が中世の主流形式である。またA・B・C 3型よりも秤肘木の相対的長さを長くしたD型は室町末から現れ近世初期の禅宗様仏堂にかなり用いられるが, これは斗〓一具としての1体化した整備感よりも, 斗〓部材を大きくみせる傾向をしめすもので, 一つの和様的感覚をしめすものとみてよい。また斗〓の変化としては中国の仮昂に発したと考えられる折線状肘木の使われ方と形状の変化がある。すなわち14世紀には当初の擬似尾〓的役割を意匠的によく伝えて折線状肘木を壁面と直角方向に配するが, 16世紀には1つの装飾的モチーフとして壁面と平行な方向にも用いられ, 形状も当初の直線状のものから下端が凹曲線になるものや繰型をもつものへ装飾化していった。3)斗〓立面の特殊例には法用寺本堂内厨子斗〓と安国寺経蔵内輪蔵斗〓がある。法用寺本堂内厨子斗〓は東大寺鐘楼斗〓を先行例とする三つ斗と五つ斗を重ねた特殊で複雑な形式であるが, 上下の斗を整然とそろえ, かつ各巻斗間隔を一定にし, 軒中央では六枝掛と通ずる〓と巻斗の関係がみられるなどいちぢるしく和様的な処理がある。安国寺経蔵内輪蔵斗〓はこれと対照的にいちぢるしく中国直写的な性質をもち, 当時日本ではかなり多様な中国斗〓の各型がしられていたことをしめす。4)禅宗様斗〓の一般的傾向と中国斗〓を比較すると, 斗の種類の点で中国的性質を痕跡的に止めるものが関東に存在する。安国寺経蔵内輪蔵斗〓の中国直写的性質をあわせ考えると, 禅宗様斗〓は当時の中国斗〓の各形式のうち日本的感覚に適合したものを撰択的に輸入したのではなく, 禅宗様斗〓は中国斗〓を日本で日本的感覚により整理単純化しかつ洗練させていったものであろう。ただし, その洗練はかなり急速であったろう。5)斗〓断面は中国斗〓の性質をよく伝えているが, 尾〓の配し方に, 上下尾〓が平行で内外一木をなすものと, 上下尾〓が相互に有角をなし下尾〓が内外で縁が切れ急勾配でたち上り上尾〓を支える型とがある。中国では発生的に前者の方が古いが, 後者も中国で11世紀に成立している。したがって日本における両者の間には年代差はなく, 当時の中国における両形式の併存状態を反映したものと考えるのが妥当である。また関東禅宗様斗〓の尾〓は有角に定形化している。関西では一般的には上下尾〓が平行であるけれども, 有角のものもあり, 関東ほど定形化していない。このことは関西禅范の中心をなす京五山が創立時では13世紀初頭から14世紀末にわたり, 発願者も朝廷・公家・武家に分れ, このため各寺の建築的伝統が独立的であったのではないかと想像される。このように考えてみると, 関東禅宗様斗〓の定形化は単に地方色だけとしてみるべきでなく, そこに鎌倉五山の雄たる建長・円覚両寺の強大な建築的権威を推察せしめるものがあろう。
著者
関口 欣也
出版者
建築史学会
雑誌
建築史学 (ISSN:02892839)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.30-32, 2009 (Released:2018-06-28)