著者
関戸 堯海
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1300-1307, 2014-03-25

文永九年(1272)二月,寒風が吹きつける佐渡の塚原三味堂で,日蓮は『開目抄』を書き上げた.「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも『法華経』が釈尊の真実の教えであることを「五重相対」の仏教観によって証明する.続いて,『法華経』のすぐれた思想的特色として,一念三千および二乗作仏・久遠実成を挙げて詳細に論じている.そして,『法華経』迹門の中心をなす方便品は一念三千・二乗作仏を説いて,爾前諸経の二つの失点のうち一つをまぬがれることができたが,いまだ迹門を開いて本門の趣旨を顕らかにしていないので,真実の一念三千は明らかにされず,二乗作仏も根底が明らかにされていないと述べ,本門を中心とした法華経観を提示する.また,末世の『法華経』布教者に数多くの迫害が待ち受けていることを『法華経』みずからが予言している(未来記).その経文を列挙して,数々の迫害の体験は予言の実践(色読)にほかならないとして,日蓮は末世の弘経を付嘱された上行菩薩の応現としての自覚に立ち,不惜身命の弘経活動を行なった.ことに龍口法難(佐渡流罪)を体験した日蓮は法華経の行者であることを確信した.そして,『開目抄』には「我れ日本の柱とならむ,我れ日本の眼目とならむ,我れ日本の大船とならむ」の三大誓願によって,人々を幸福な世界へと導くという大目的が表明されている.
著者
関戸 堯海
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1118-1125, 2015

『立正安国論』の直接の執筆の理由は,正嘉元年(1257)から文応元年(1260)にかけて発生した天変地夭などの災害である.災難の興起の理由について日蓮は諸経典を紐解き検討した.災難の興起について論じた,これに先立つ著作として『災難興起由来』『災難対治鈔』『守護国家論』などがある.『立正安国論』は,文応元年(1260)七月十六日に,前執権北条時頼に奏進された諌暁の書である.時頼は仏教を篤く信仰していた.これが,日蓮が『立正安国論』を彼に奏進した理由の一つである.『立正安国論』では,法然の『選択本願念仏集』などの経論疏を抄録して,浄土教批判を展開し,他国侵逼難と自界叛逆難を予言して,『法華経』に帰依すべきことを勧めている.けれども,『法華経』の教義や理念については詳しく論じられていない.これは,日蓮が公場対決を期していたことに由来すると考えられている.なお,法然批判の先駆者として,園城寺の公胤,定照,華厳宗の高弁などがある.『立正安国論』は旅客(北条時頼)と僧房の主人(日蓮)との,「九問九答」と「客の領解」(十番問答)によって構成されている.それを序分・正宗分・流通分の三段に分けて考えてみると,第一問答から第八問答までが序分,第九問答が正宗分,第十段の客の領解が流通分となる.序分では「災難の由来と経証」「謗法の人と法」「災難対治」「謗法の禁断」などについて説かれ,念仏を禁断することによって国難を防ぐことを明らかにする「破邪」の段であるとされる.そして,第九問答が正宗分であり,他国侵逼難と自界叛逆難を予言し『法華経』に帰依すべきことを勧める「顕正」の段である.流通分は第十段の「客の領解」のみとなっている.考察の結果として,日蓮の法華最勝義については要略して述べるにとどまっていることがわかった.批判の主眼を法然『選択集』に絞り,北条時頼から召喚があった時には,日蓮の宗教観に関する詳細な面談を遂げようという『立正安国論』の趣旨が再確認できたと思われる.
著者
関戸 堯海
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1300-1307, 2014-03-25 (Released:2017-09-01)

文永九年(1272)二月,寒風が吹きつける佐渡の塚原三味堂で,日蓮は『開目抄』を書き上げた.「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも『法華経』が釈尊の真実の教えであることを「五重相対」の仏教観によって証明する.続いて,『法華経』のすぐれた思想的特色として,一念三千および二乗作仏・久遠実成を挙げて詳細に論じている.そして,『法華経』迹門の中心をなす方便品は一念三千・二乗作仏を説いて,爾前諸経の二つの失点のうち一つをまぬがれることができたが,いまだ迹門を開いて本門の趣旨を顕らかにしていないので,真実の一念三千は明らかにされず,二乗作仏も根底が明らかにされていないと述べ,本門を中心とした法華経観を提示する.また,末世の『法華経』布教者に数多くの迫害が待ち受けていることを『法華経』みずからが予言している(未来記).その経文を列挙して,数々の迫害の体験は予言の実践(色読)にほかならないとして,日蓮は末世の弘経を付嘱された上行菩薩の応現としての自覚に立ち,不惜身命の弘経活動を行なった.ことに龍口法難(佐渡流罪)を体験した日蓮は法華経の行者であることを確信した.そして,『開目抄』には「我れ日本の柱とならむ,我れ日本の眼目とならむ,我れ日本の大船とならむ」の三大誓願によって,人々を幸福な世界へと導くという大目的が表明されている.
著者
関戸 堯海
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.636-642, 2012-03-20