著者
阿曽 正浩
出版者
北見工業大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

この研究では、ソ連崩壊後から1994年末までのロシア連邦における報道の自由の状況を整理した。研究の結果、次のような新たな知見が得られた。1.92年から93年9月ク-デタ-まで ソ連崩壊後、大統領・政府は、改革推進のためにマスメディアを利用しようと圧力をかけていた。マスメディアの中には、これに呼応して大統領側につくもの、虚偽や未確認情報の流布のため多くの訴訟を招くものがでてきた。議会側はこれを口実にして、マスメディア統制を試みた。この間、世論は、偏向報道には不満だったが、政府のマスメディア監督は容認していた。こうして、マスメディアをめぐる大統領・政府と議会との対立の激化自体が、公正な報道を歪める構造を形成していった。2.9月ク-デタ-以後 この対立を終結させたのは大統領のク-デタ-であった。その際、当然報道規制も行われた。その後行われた新議会選挙では、各党派に公正なテレビ宣伝を保障する制度が設けられたが、選挙宣伝の実態は大統領派に有利に運用された。それにもかかわらず、選挙結果は大統領派の期待どおりではなかった。選挙後の報道システムの改革の中で注目すべきものは、情報紛争裁判院である。これは、マスメディアをめぐる個別の紛争を解決するだけでなく、マスメディアを監督する国家機関でもある。この裁判院は、一応公正な判断をしているようだが報道の自由に対して抑制的であること、無責任な報道の是正に一定の効果を期待できるがそれが「上からの」行政的規制になるという点で、二重の意味で両義的である。それは、裁判院が現在のロシアの改革に内在する自己矛盾を体現しているからである。しかし、この両義的な裁判院でさえも、大統領・政府の報道規制への一定の歯止めになりうるというのが、ロシアの報道の自由の現状である。