著者
飛田 勘文 ヒダ ノリフミ Norifumi HIDA
雑誌
清泉女子大学人文科学研究所紀要
巻号頁・発行日
vol.38, pp.93-112, 2017-03-31

1882年に日本人初の女子留学生の山川(大山)捨松が「英語演劇クラブ」を創設し、日本に英語劇(英語教育における教育方法としての演劇)を紹介して以来、日本には約135年の英語劇の歴史がある。ところが、日本の英語劇の歴史について調査した研究は少ない。そこで、本研究は、日本の学校や大学の英語劇、とくに教育課程の英語科における英語劇の内容と指導方法の変遷について調査し、分析を試みた。 調査にあたって、日本の英語劇の歴史を3つの期間に分類した。第1期(1930~1970)、英語教師は、「英語で考える」という目的のもと、主に児童中心主義教育の哲学とハロルド・E・パーマーのオーラル・メソッドを土台にして英語劇の実践を展開した。第2期(1970~2000)、英語教師は、「表現・コミュニケーション」という目的のもと、主にコミュニカティブ・ランゲージ・ティーチングを土台にして英語劇の実践を展開した。第3期(2000~現在)、英語劇を活用する英語教師の間に共通する哲学や理論といったものは見られないが、彼らは、異文化・国際理解、多文化共生、グローバル人材などを目的として英語劇の実践を展開している。 本稿は、第1期と第2期をとりあげる。第1期と第2期の英語劇を通して分析してみると、第1期から第2期にかけて①英語劇の焦点が個人から個人の外側(外の世界)に移行している、②英語劇が開発を試みる学習者(人間)の諸相の範囲の拡大している、③英語劇が扱う演劇の形式や技法の種類が増加している、④英語劇の指導における児童中心主義の傾向が強くなっていることが分かる。