- 著者
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高木 秀和
- 出版者
- 人文地理学会
- 雑誌
- 人文地理学会大会 研究発表要旨 2008年 人文地理学会大会
- 巻号頁・発行日
- pp.201, 2008 (Released:2008-12-25)
1 目的と方法
本論は、三重県先志摩半島に位置する志摩町(現・志摩市志摩町)のなかから片田についで「漁法の多様性」がみられる御座において、漁村の村落構造と漁法との関係をフィールドワークにより示し、村落構造の規定要因を明らかにすることを目的とする。
2 地域概況
三重県志摩市志摩町は先志摩半島と呼ばれる半島の大半を占め、全体が隆起と沈降を繰り返した海蝕台地の上に乗っている。そのため、台地面および海底地形は複雑であり、熊野灘側の磯漁場、英虞湾側のリアス式海岸のような好漁場をうみだした。
このような基本的な自然条件にある志摩町域の西端に位置する御座は、英虞湾口にあるために海水循環がよく、イワシ類がよく入ってくる。そのために、カツオ漁に欠かせないイワシを狙う小型定置網(御座では「大敷」と称する。以下、大敷とする)による水揚量が他地区に比して多く、真珠養殖漁場も相対的に恵まれている。また、御座岬周辺には岩礁が発達し、磯漁に好影響を与えている。
御座の人口・世帯数は2007年9月末の時点で、人口664人、うち65歳以上208人、世帯数265を数えるが、1955年時点と比較すると世帯数は約20、人口は560人以上減少した。2001年時点の正組合員数は117人であり、漁業従事者も減少している。
御座の基本的な社会集団をみてみると、地区内を6つに分けた番組があり、それぞれが定期的に寄合を持っている。後述するが、漁協とムラとのつながりや関係性は強く(以下、ムラ=漁協と記述する)、志摩漁村のなかでは地縁的まとまりが比較的強いといえる。そのほか、特権的な集団として氏神の御座神社の世話役である祷屋(大祷)があった。これは30軒前後の家でその役を順番に回して務めていたが、1988年を最後に廃絶した。
3 御座における漁村の村落構造と漁法との関係
御座では小型定置(大敷)、あま、えび刺網、ツボアミ、一本釣などの漁法がみられ、そのほか真珠養殖もおこなわれている。このように御座でも「漁法の多様性」がみられるといえる。どの単位で漁を行うかをみてみると、大敷以外は血縁や地縁や個人のレベルで漁業に従事しており、規模も家族レベルで営まれる漁法が多いので大きくはない。なお四艘張は戦後廃絶した。
ところで、ムラ=漁協の収入源となっているのが大敷の漁場料(餌鰯沖売歩合金)と口銀(手数料)である。大敷は網元経営によるが、かつてはムラ人の就労先となったり現在でもムラ=漁協に対して多額のカネを納めているという点では地縁的な漁法であり、ムラ=漁協に自由を奪われた網元といえる。また、昭和30年代後半まで「村営」とよばれた「御座村鰯大敷網組合」があり、各種団体(婦人会や青年団など)に運営資金が支給され、なおかつムラ人たちには盆前に漁獲物が支給されたという。村営廃止後は、各種団体に運営資金を支給する習慣が漁協に受け継がれ、毎年漁協から100万円(うち50万円は御座神社の祈祷料)が捻出された。しかし、1970年ころ町から注意を受けて両者ともに廃止された。さらに、各番組で話し合われた要望事項を漁協の総会や理事会に提出して議論をおこなうことから、旧御座村が志摩町に合併(1954年)後も漁協はムラの行政的な役割の一部も担っていたといえる。なお、かつては何軒かの網元があったが、現在では御座に網元が在住するY大敷(3統)と浜島に在住するY氏(1統)が従事しており、後者は浜島に漁獲物を水揚げする。
その他、磯魚を対象とする漁法に関しては片田ほど磯漁場の環境には恵まれておらず、聞き取り調査から刺網とツボアミなどいくつかの漁法を組み合わせて生計を立てる零細漁民の姿がうかがえる。なお、真珠養殖が普及すると雇われの従業員も含めて養殖業に転業するものも多かったためにこの「漁法の多様性」は見えにくくなったが、それが衰退している今日においては再び「漁法の多様性」を明瞭にしている。
4 御座における漁村の村落構造の規定要因
御座では多数の一般漁民たちは少数の網元のもとで水夫として大敷に従事したが、網元より納められる多額のカネによりムラ=漁協の財政は潤い、各種団体の活動資金も配分されていたことなどからその存在は肯定されていたといえる。このように御座の大敷は網元経営でありながらもムラに密着した地縁的漁法であり、その構成員たちも比較的横並び的な関係にあった。しかし、真珠養殖の成功や観光地化(民宿業)により一時的に財をなすものもいたが、今日では両者ともに規模を縮小させたり廃業に追い込まれているケースが多く、再び磯漁を中心とした「漁法の多様性」が浮かび上がってきたといえる。