著者
高瀬(勝野) 真人
出版者
日本人口学会
雑誌
人口学研究 (ISSN:03868311)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.21-34, 1991-05-30 (Released:2017-09-12)

わが国では第1回の国勢調査が行われた1920年(大正9年)以前の死亡統計については,詳細な分析の基礎となる正確な年齢別人口が得られなかったこと,死亡登録の完全性が疑問視されてきたことなどから,これまで充分な解析が行われていない。そこで,国勢調査以前の死亡統計の精度を実証的に評価するとともに,死亡統計の詳細な分析に不可欠な年齢別人口を得ることを目的として,国勢調査人口を基礎におよそ30年分の年齢各歳別(出生年別)死亡統計をもとに1.5%の届出漏れと死亡数の3.5%にのぼる内地外への流出超過を考慮した上で, 1890年(明治23年)首にまで遡る年齢別人口および出生数の推計をおこなった。この推計作業の終着点である1890年前後の本籍人口は,成人の就籍漏れがほとんど解消されていた上,除籍漏れ(主に死亡届漏れ)の蓄積もまだ少なく,内地外への移動も無視できる程度であり,推計人口は年次を遡るにつれて本籍人口との一致度を高めていくものと期待された。その結果,国勢調査から30年余りも隔たった戸籍簿上の年齢別人口である1890年首の本籍人口ならびに30年間の登録出生数が実際に極めて高い精度で復元できることが確認された。一方, 1920年以降の死亡率の傾向から推計された生命表を用いた逆進生残率法による人口推計では,人口の年齢分布や推定される届漏れの改善傾向に疑問があることを示した。これらの結果から,少なくとも明治20年代には,わが国の死亡統計はすでに詳細な分析に耐える信頼性をそなえていたものと推定された。また,わが国では1885年に原因不明の出生率,死亡率の急上昇が認められるが, (1)その死亡数の増加が著しく乳幼児に偏っていること(2)届遅れの出生死亡届出数が同年に明らかなピークをもつこと(3)その前年の明治17年に「墓地及び埋葬取締規則」が公布され,死亡のみならず妊娠第4月というかなり早期の死産にまで届出と埋葬が義務づけられたこと,の3点から特に乳幼児の死亡届出が1885年を境に大きく改善したと考えられることを示した。結論として, 1890〜1920年の公式統計上の死亡率低下の停滞(上昇)は事実を反映したものと考えられ,今回の人口推計結果をもとに死因別年齢別死亡の詳細な分析を進めることが重要であると考えられた。