著者
黒沼 歩未
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = HUMANITIES (Christianity and Culture) (ISSN:24346861)
巻号頁・発行日
no.52, pp.(185)-(212), 2020-12-15

福神を題材にした芸能や物語は、中世末期頃から数多く作られた。例えば、お伽草子『大黒舞』や『梅津長者物語』は、貧しいながらも正直で孝行者の主人公が、大黒天や恵比寿の加護によって立身出世する話である。これらのお伽草子に登場する福神達は、神よりも人間のようであり、中世の人々にとって、その親しみやすさとめでたさで最も身近な神であったといえるだろう。その中で、清水寺との関わりが指摘されるお伽草子『大黒舞』の大黒天の表象に注目し、中世の大黒天がどのように理解されていたのか、また、清水寺とその周辺における信仰がどのように表れているのかを考察した。『大黒舞』で大黒天は、福神よりも戦闘神や仏法守護の神として自身を語る。当時人気を博した狂言の世界では、﹁比叡山の三面大黒﹂が語られていたが、それは『大黒舞』の大黒天とは異なり、祈れば富貴になれるという福の神としての大黒天であった。そして、『大黒舞』の大黒天の表象で最も特徴的なのは、大黒天と恵比寿が鬼と入れ替わるように描かれていることである。福神と鬼は一見正反対に見えるも、特に大黒天は、鬼と共通する三つの宝物を持つなど鬼と通ずるものがあった。その一方で、『渓嵐拾葉集』には﹁大黒飛礫の法﹂という裕福な人の家から福を自分の元に呼び寄せるという怪しい秘術も記されており、大黒天が福人の富を奪って与えるという盗賊的な側面も理解されていた。さらに、清水寺の近隣では、『大黒舞』成立と同時期に、疫病から福神へと転じた五条天神社の信仰が急速に広まっていた。清水寺の下方世界に広がる疫病の世界観にあてはめると、『大黒舞』の中に描かれる鬼や盗賊を﹁疫神﹂として解釈することができる。それを様々な知恵や武力でもって倒していく大黒天と恵比寿のイメージには、五条天神に祀られる少彦名命と大己貴命と、その二神をモデルにして作られた五条天神周辺で戦う義経と弁慶の姿が重ねられているだろう。以上、『大黒舞』における大黒天の表象の考察を通して、現在のような﹁福の神﹂としての大黒天像が浸透する以前の大黒天の姿が反映されていることがわかった。中世の大黒天の信仰の一端と、『大黒舞』が清水寺とその周辺の信仰を取りこみながら、物語を形成している様子が明らかになった。