著者
CAPRIO M.E.
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

日本の戦後から現在までの外交努力、特に南北朝鮮との順調な関係を構築しようとする努力は、韓国と日本との間に横たわる歴史遺産によって、しばしば妨げられてきた。第二次世界大戦後に到来した冷戦の結果、北朝鮮、韓国双方は(少なくとも最初の2、30年は)、植民地時代の圧政者である日本を競って「悪者」にすることで、韓日・朝日関係をますます冷却化させた。また一方で、朝鮮半島での南北対立に無関心を装う日本の態度は、朝鮮人(韓国・北朝鮮の人々)の敵対心を煽り、韓国人に悪感情を抱かせ、北朝鮮との間に政治的距離を生じさせることとなった。東京、ソウル、ピョンヤン間に存在する、この不協和音の根源を明らかにするためには、各国の国民が抱く他国のイメージの問題、つまり、日本人、南北朝鮮人が戦前の知識や信念に基づいて、それぞれ他の政府や国民に対して描いた戦後イメージを考察する必要がある。米国の北朝鮮に対する敵対的関係、およびその脅威の対策としての日本と韓国の同盟的な関係、日韓両国の北朝鮮に対する敵対的な外交は、より日・韓・朝関係を困難にした。20世紀において、米国は北東アジアとの関係史を認識(日本の朝鮮半島の併合)し、戦争し(日本と北朝鮮)、占領し(日本と韓国)、そして相互条約を結んだが、このように米国が巻き込まれた現状は、北東アジアの地域協調を達成するには大きな支障である。北東アジアの国々がより親しく、協調的な関係を達成しようとするならば、20世紀のこの長い歴史を再検討する必要がある。この再検討の一つの貴重なテーマとして日本が朝鮮半島に対して持っていたイメージの調査がある。本研究は朝鮮半島のイメージの変化を日本や米国の視角から分析した。21世紀において、日本は北東アジアの地域的平和のために前世紀の差別的な縦関係のイメージを平等な横関係のイメージに改める必要があろう。