著者
林 大樹 Daiki Hayashi
出版者
学習院大学人文科学研究所
雑誌
人文 = Jinbun (ISSN:18817920)
巻号頁・発行日
no.20, pp.375-408, 2022-03

刀剣研究家福永酔剣によれば、将軍徳川家斉は尊号一件で関係のこじれた朝廷の「機嫌取り」のため、『享保名物帳』記載の名物刀剣、早川正宗・小池正宗を献上したという。関連する朝廷・幕府史料を調査した結果、この通説は訂正を要することがわかった。家斉は寛政四年(一七九二)一二月五日、上使前田長禧を参内・参院させ、光格天皇に「正宗の野太刀」(早川正宗)、後桜町上皇に「御太刀」(小池正宗)などを贈ることを目録と口上で伝え、装飾(拵え)の希望を聴取した。その結果、早川正宗は螺鈿造に、小池正宗は朱銘・白鞘入りに改め、同六年十一月一〇日に京都へ送付した。進献物は家斉の意向を汲み選択されており、光格もまた返礼品に関与していた。名目としては、尊号一件で尊号宣下を断念した光格天皇への挨拶と、その説得にあたった後桜町上皇への御礼である。一件の中心人物である武家伝奏正親町公明・議奏中山愛親の下向を要求する圧力としての側面も推定される。